岡山ラーメンの歴史インタビュー3 六高生の定番コース・元祖岡山ラーメンは『百万元』・岡山表町 |
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六高生が表町を練り歩くときに・・・ |
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『私は昭和33年にここを分けてもらって、あとをやっているんです。戦前のことはあまり詳しく知らないんですが、昭和5年創業と聞いています。』
戦前は旧満州(中国東北部)で銀行員をやっておられたというご主人、見垣良夫さんは、いかにも上品そうな笑顔で静かに語り始めました。
『前の人は小松原さんといいまして、何でも神戸の中華街あたりで修ってきて、西大寺町の銀行の前で屋台の支那そば屋をはじめられたということです。それからここへ移ってこられた。
中華そば、当時は支那そばといいましたが、それと焼きめしだけで続いてきたんです。そういう意味ではいわゆる「ラーメン」屋としては、岡山でここが最初ではないでしょうか。』
『当時は「百万元」といえば名前が売れていて、同じ名前を使ったニセの屋台や似た名前の店がいくつも出来とったそうです。
六高(第六高等学校)の生徒さんが高下駄をはいて表町を練り歩くときは、カニドンで氷を食べてこの百万元で支那そばを食べるというのが1つのコースだったといいますから。前の(経営者の)人の娘さんが絶世の美女だったこともあったのかも知れませんけどね。』
『最近でも当時を思い出して訪ねてこられる人がありますよ。以前六高会とかやられたときは、あちこちの偉いお医者さんなどが、何人も懐かしいとこられました。』
当時は手打ちのラーメンだった |
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「ところでこの百万元の名前の由来はなんでしょう?。」
『うーん。中国のお金の単位じゃあないですか。百万元といえばそれは大変なお金らしかったですね。そら、日本で億万円というくらいに。そのくらいのラーメンというような・・。』
『前はここの店が何で繁盛しとったかといいますとね、手打ち麺をやりよったんですよ。粉を練りよったんです。太い竹で、こう、体重をかけて・・。そりゃあもう腰があって美味しかったんですわ。麺が透明なようになって・・・。
一等粉でなく、二等三等の粉を使うんです。そのほうが美味しかったんです。今はもう製麺屋さんから入れていますけどね。』
「それで戦後になって、あなたが継がれた?。」戦後の百万元の歴史へと話を向けました。
『ええ。ここの支店が中島にありまして、私近くにいたことがあるんです。この本店が事情で閉められるということなので、あとをやらせてもらったんです。
戦後も市内の人なんかが何人もよう味見にこられました。麺はどっから仕入れとるのかなどと聞かれて、そのあとラーメン屋さんを始められた人もあります。そうそう、倉敷のほうからも毎週のように、それはもう熱心に通ってこられて、麺の上げ方から習って行かれた方がおられましたなー。』
元祖岡山ラーメンは、七色の出汁 |
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私がスープを全部飲んだのを見て
『ああ、美味しかったですか。最近の若い人は、これをあっさりしすぎと言われます。でも、こういう無色透明な、澄んでいてそれでいてこくのあるスープでないといけませんわなー。』
で、私「美味しいです。あっさりしていますが、しっかりと出汁がきいているように思いましたけど。」
『ええ、利尻昆布です。あ、もちろん、鶏ガラと豚骨をベースに、うるめかつお削りにいりぼし、それと利尻昆布の出汁などをブレンドするんです。このブレンドの割合ですなー。
やっぱり、コブゆうものはコクを出しますわなー。実は昨日まで北海道に旅行にいっとりまして・・・』
利尻、羅臼、日高・・と昆布談義がひとしきり続きます。最後に
『あっさりしとりますが、まあそういう訳でうちは”七色のだし”とでもいいましょうか。』
なんとも言えない自信に満ちた表情で、ニッコリと笑われました。長年にわたって「岡山ラーメン」を引っ張ってきたという笑顔ではありました。
ドミカツ丼は私が考えたんです |
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この店も、ラーメンとともにドミグラソースのカツ丼を出しています。店の前には次のような掲示がありました。
「特性ドミかつ丼。昭和63年4月NHKおはようジャーナル、平成5年3月TBSムーブ、三宅祐司「日本列島こだわりカツ丼」特集で全国放映。週間マンガモーニング、クッキングパパの記載」
最後にこれについて聞いてみました。
『ええ、このドミカツ丼は、私が考えたんです。当時表町が繁盛して、店員さん達はみんな昼ごはんを食べる間もなかったんです。そこへトンカツとライスを出しても食べられませんから、丼ごはんのうえへキャベツとカツを乗せて、ソースをかけて出したら、早く食べられるんじゃあないかなと思いましてな。これがあたったんです。』
岡山で特徴のデミグラソースのカツ丼。特に表町のラーメン店、「だて」「やまと」そしてこの「百万元」で出されています。そのほかでは駅前の「野村」という老舗の食べ物屋であるようです。どこが「元祖」かはよくわからないのですが、「岡山のラーメン」を語るとき、必ず引き合いに出されるものではあります。
『それそれ、これがその週間モーニングです。』
お、驚くことに、クッキングパパの一週間分まるごとが、「岡山のデミカツ丼特集」になっているではありませんか。もちろん我が「百万元」の店構えもばっちり描写されています。
週間モーニング、平成6年5月12・19日合併号。クッキングパパ、COOK,393。
今日は「岡山ラーメンの歴史インタビュー、百万元の巻き」でした。(99、11)