『ラーメンが学問になった・日本最初の食文化学部』
 
ーくらしき作陽大・小菅桂子教授ー

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 倉敷市の西部を玉島といいます。その北部の丘陵地帯、そう、岡山名物の桃畑が続く 丘陵地帯のはずれに「くらしき作陽大学」があります。新幹線新倉敷駅からほど近いところ でもあります。
 この大学、前身は岡山県北部の津山市にあった「作陽音楽大学」でした。倉敷市に引 っ越したのを機会に変身をはかったのか、何と「食文化学部」という日本で最初の学部を 立ち上げたのです。
 人は一日に3食食べます。太古の昔から続く行事?です。最近では縄文の食が少しづ つわかってきて、その豊かな食生活が話題にもなっています。しかしそれなのになぜか 、歴史では「戦争の歴史」は大きく扱われますが、「食文化の歴史」はほんのお添え物 程度にしか出てきません。これから先、平和な社会を築き後世に伝えていく責任がある 私達にとっては、もっとこの「食の文化」に目を向けていく必要があるのではないでし ょうか・・・・。と、これは「岡山ラーメン学会」なる団体にかかわるようになった私 が、あとからこじつけた”理屈”なんですけれども・・・。

 文化都市倉敷、そこで生まれた日本最初の「大学の食文化学部」。そこの教授になんと 『にっぽんラーメン物語』という本の著者である、小菅桂子(こすげ けいこ)さんが 招かれたから大変です。
 かくいう私も『にっぽんラーメン物語』を買い求めて一読、たちまちファンになって しまいました。ぜひインタビューしてこのHPへ登場していただこう・・との気持ちが 日々強くなっていきます。地元の放送局もどこで聞きつけたのか、出演交渉がはじまり ました。
 まず、山陽放送ラジオ(1494Khz)で1月19日から、火曜日夕方6時20分 からの「聞き得くタイム」というコーナーへの、ほぼ毎週の出演が始まったのです。
 山陽放送TVでは、1月27日(水)17時からのローカルワイド番組「ハマイエて れび」がTV初登場でした。このHPの画像はその時のものを局のご好意で載せさせて もらっていますが、コーナーのタイトルは何と「水戸黄門とラーメン」。あの「じーー んせいい楽ありゃ苦もあるさ・・・」というBGMが流れるなか、司会の浜家アナとの 軽妙なやりとりは、さすが3代目江戸っこ・・と思わせるものがありました。


 で、私もこれとは別にインタビューさせていただいたのです。(感激!!)
 「まず、先生とラーメンの関わりから話していただけますか」
 『私の場合は水戸黄門が日本で最初にラーメンを食べた、というおもしろ情報からき たんですね。講釈師の方からそういう情報をもらって、それから水戸に何年も通って水 戸黄門を調べたんですね。』
 (うわー、年季が入ってるんだ)
 『いろんな方にお世話になりました。水戸黄門という人は、TVではあんなふうでし ょ。でも本物は色白で背の高い、切れ長の目をした大変にいい男らしいんですよ。』
 (うんうん。カクさんみたいなのか?)
 『きっぷのいい男で、もし生きていたら私にとって、そうお酒を一緒に飲みたい人か な。』
 「えっ!、そってみたいと違うんですか?。」それこそ先生のきっぷのいい話ぶりに 、思わず出た私の失礼なチャチ入れも、軽くいなされてしまいました。
 『まあ、お酒が飲みたい人でしょうね。米は作るは料理はするは、”男の台所”の元 祖なんですから。そういうことで光圀さんにはまりこんだ予備取材の中でたくさん資料 が集まり、それが「水戸黄門の食卓」という本になったんです。』
 「で、ラーメンも出てきたと。」
 『そうです。私は食文化史、とくに近代をやっていたんですけれども、光圀さんで近 世にもひろがったんです。だから私の場合ラーメンといっても食べ歩きはしません。ど っちかというと食文化史のなかのラーメンとか、ラーメンを作っている人の歴史や人生 とかいったものに興味がありますね。』
 「でも、好きなラーメンなんていうのも、おありなんでしょう。」(しつこい私)
 『ええ、3代目の江戸っこでしょう。醤油味のさっぱりしたラーメンが好きですよ 。決して辛くなくて底が見えるくらいに透明な。それで醤油の香りをうまく生かした、 醤油文化圏らしい昔ながらのラーメンがすきなんですよ。』

 「で、先生ご専門の食文化のなかでのラーメンて、どんな位置になちますか?。」
 『そうですね。チキンラーメンといいますかイスタントラーメンとご当地ラーメン が出来て、日本のラーメン文化は大きく変わりましたね。インスタントラーメンはいま や世界に出ていっていますし。ご当地ラーメンがなく、昔のチャルメラの屋台ラーメン だけでは今日の隆盛はないでしょうね。まあ食文化の中では古くからのお米、お酒、お 袋の味といろいろあるなかでは、ラーメンは大きくはないですが。でもラーメンは面白 いんです。ラーメンというのは今だにわからないことだらけなんですよね。』
 『”かん水”1つとってもわからないことばかりですし。食べ物というのは本当に面 白い素材ですね。地位とか名誉とかお金とか関係ないでしょ。』
 (うーん。これはジャーナリスト出身の先生らしいご発言だ!)
 「先生、先生にとってラーメンって、一言で言うと何ですか?。」
 『えっ、ラーメンですよ。』
 (ここは脈絡なく”人生です”なんてご大層な言葉をついつい期待してしまっていた 私の”意外!”という顔を見すかされてしまったかも知れません。)
 『強いて言えば、透明感のあるスープ、本当のチャーシュー、昔ながらのラーメンが 姿を消してしまっていますが、来々軒のご主人が教えてくれた、私のイメージのなかで の本当の味、昔ながらのラーメン。それが食べたいと私は思います。』
 (なあんだ。食べ歩きはしないとおっしゃるけれど、先生も本当はラーメンが大好き で、大変なこだわりを持っていらっしゃる・・。よし、それなら・・。)
 「あの、先生。岡山県の西部に笠岡というところがありまして。そこに鶏ラーメンと いう戦後すぐからの古いラーメンがあるんです。なんでも映画館のなかまで出前をして くれたという伝説まであるんですよ。」
 (ついつい「備中笠岡鶏ラーメン」のPRをやってしまいました。こんどいつかお誘 いしなくっちゃ。)

 『日本の3大洋食は、コロッケ、トンカツ、カレーというでしょ。それに匹敵する庶 民の食べ物がラーメンなんですよ。で、それを作っている人って、いろんな経歴の人が 多いでしょ。ラーメンって、まさにあの鶴田浩二の”傷だらけの人生”がよく似合うん ですよ。』
 (キャー、先生もどうやら演歌がお好きらしい!。私のファン度のボルテージも上が りっ放なしのインタビューでした。で、最後におずおずと・・・)
 「で先生、お願いが有るんですが。私達岡山ラーメン学会の顧問ということになって いただけませんでしょうか。」
 『ああ、いいですよ。』
 す、す、すごいすごい。バンザーイバンザーイ。もうこれで「岡山ラーメン学会」も 安泰だーー。バンザーーーイ。(99、1)

PS:で、顧問としての小菅先生の最初の提案は、何と「北京ラーメンツアー」だった のです。夏休みの土、日、月くらいで、北京だけのラーメンを食べ歩く格安ツアーを企 画する・・・。うーん。実現できるだろうか?。でも、楽しみーーー。

小菅桂子さん

 東京生まれ。国学院大文学部卒。毎日映画に入社、ニュース映画、ドキュメンタリー番組などを企画制作。その後フリーで料理番組の制作にたずさわる一方、食文化研究家として活躍。くらしき作陽大学食文化学部教授。杉野女子大学講師。著書に「水戸黄門の食卓」「近代日本食文化年表」「にっぽん洋食物語大全」「にっぽんラーメン物語」など。


小菅桂子さんが顧問の「新横浜ラーメン博物館」