『ラーメンが学問になった・日本最初の食文化学部』 |
文化都市倉敷、そこで生まれた日本最初の「大学の食文化学部」。そこの教授になんと
『にっぽんラーメン物語』という本の著者である、小菅桂子(こすげ けいこ)さんが
招かれたから大変です。
かくいう私も『にっぽんラーメン物語』を買い求めて一読、たちまちファンになって
しまいました。ぜひインタビューしてこのHPへ登場していただこう・・との気持ちが
日々強くなっていきます。地元の放送局もどこで聞きつけたのか、出演交渉がはじまり
ました。
まず、山陽放送ラジオ(1494Khz)で1月19日から、火曜日夕方6時20分
からの「聞き得くタイム」というコーナーへの、ほぼ毎週の出演が始まったのです。
山陽放送TVでは、1月27日(水)17時からのローカルワイド番組「ハマイエて
れび」がTV初登場でした。このHPの画像はその時のものを局のご好意で載せさせて
もらっていますが、コーナーのタイトルは何と「水戸黄門とラーメン」。あの「じーー
んせいい楽ありゃ苦もあるさ・・・」というBGMが流れるなか、司会の浜家アナとの
軽妙なやりとりは、さすが3代目江戸っこ・・と思わせるものがありました。
「で、先生ご専門の食文化のなかでのラーメンて、どんな位置になちますか?。」
『そうですね。チキンラーメンといいますかイスタントラーメンとご当地ラーメン
が出来て、日本のラーメン文化は大きく変わりましたね。インスタントラーメンはいま
や世界に出ていっていますし。ご当地ラーメンがなく、昔のチャルメラの屋台ラーメン
だけでは今日の隆盛はないでしょうね。まあ食文化の中では古くからのお米、お酒、お
袋の味といろいろあるなかでは、ラーメンは大きくはないですが。でもラーメンは面白
いんです。ラーメンというのは今だにわからないことだらけなんですよね。』
『”かん水”1つとってもわからないことばかりですし。食べ物というのは本当に面
白い素材ですね。地位とか名誉とかお金とか関係ないでしょ。』
(うーん。これはジャーナリスト出身の先生らしいご発言だ!)
「先生、先生にとってラーメンって、一言で言うと何ですか?。」
『えっ、ラーメンですよ。』
(ここは脈絡なく”人生です”なんてご大層な言葉をついつい期待してしまっていた
私の”意外!”という顔を見すかされてしまったかも知れません。)
『強いて言えば、透明感のあるスープ、本当のチャーシュー、昔ながらのラーメンが
姿を消してしまっていますが、来々軒のご主人が教えてくれた、私のイメージのなかで
の本当の味、昔ながらのラーメン。それが食べたいと私は思います。』
(なあんだ。食べ歩きはしないとおっしゃるけれど、先生も本当はラーメンが大好き
で、大変なこだわりを持っていらっしゃる・・。よし、それなら・・。)
「あの、先生。岡山県の西部に笠岡というところがありまして。そこに鶏ラーメンと
いう戦後すぐからの古いラーメンがあるんです。なんでも映画館のなかまで出前をして
くれたという伝説まであるんですよ。」
(ついつい「備中笠岡鶏ラーメン」のPRをやってしまいました。こんどいつかお誘
いしなくっちゃ。)
『日本の3大洋食は、コロッケ、トンカツ、カレーというでしょ。それに匹敵する庶
民の食べ物がラーメンなんですよ。で、それを作っている人って、いろんな経歴の人が
多いでしょ。ラーメンって、まさにあの鶴田浩二の”傷だらけの人生”がよく似合うん
ですよ。』
(キャー、先生もどうやら演歌がお好きらしい!。私のファン度のボルテージも上が
りっ放なしのインタビューでした。で、最後におずおずと・・・)
「で先生、お願いが有るんですが。私達岡山ラーメン学会の顧問ということになって
いただけませんでしょうか。」
『ああ、いいですよ。』
す、す、すごいすごい。バンザーイバンザーイ。もうこれで「岡山ラーメン学会」も
安泰だーー。バンザーーーイ。(99、1)
PS:で、顧問としての小菅先生の最初の提案は、何と「北京ラーメンツアー」だった のです。夏休みの土、日、月くらいで、北京だけのラーメンを食べ歩く格安ツアーを企 画する・・・。うーん。実現できるだろうか?。でも、楽しみーーー。
小菅桂子さん |
小菅桂子さんが顧問の「新横浜ラーメン博物館」