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 笠岡市内のミニ霊場(その2)
吉浜、金浦、北川、大島

 先日笠岡在住の北村卓士さんから「笠岡市内のミニ霊場」という資料を送って頂きました。みると岡山県西部笠岡市にはいわゆるミニ霊場が34ヶ所もあると、その詳細が記されています。神島の四国88ヶ所霊場は昔から有名で、私も子供の頃から知っていたのですが、ほかにもこんなに多いとは驚きでした。北村さんは「市内にこんなに多いのは全国一かもしれない」とおっしゃっておられます。
 そのうちいくつか調査してから・・・と最初は思っていたのですが、どうもおぼつきませんので、今回その資料の大要を何回かに分けてアップさせて頂く事にいたしました。(2011,2)

    笠岡市内のミニ霊場(その2)・吉浜、金浦、北川、大島 目次

12  備中吉浜西国三十三観音霊場
13  旧金浦町坂東三十三観音霊場
14  金浦八十八ヶ所霊場
15  備中吉浜 陶山 城見 四国八十八ヶ所霊場
16  笠岡新四国八十八ヶ所霊場
17  北川昭和新四国八十八ヶ所霊場
18  北川西国三十三観音霊場
19  旧大島村八十八ヶ所霊場
20  大島中西国三十三観音霊場
21  御岳山三十三観音霊場
22  大島三ツ石三十三観音霊場
23  横島西国三十三観音霊場


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12,備中吉浜西国三十三観音霊場

 ゆっくり周っても3時間半ほどです。トイレも小、中学校などに あり、女性でも心配なく周れます。
又道路は整備され四季折々の田園風景を眺めながら巡れます。 お問い合わせは金浦公民館まで。
電話  O865−66−3433

確立の経過
 吉浜西国33ヶ所は、吉浜大東の河相伝次郎が発起人となり、当時の金 浦町長大橋源造、金浦町収入役藤井熊造、町内会議員佐藤杣治郎、枝 広福太郎、西江禁治、吉浜各組の総代及び有志などが周施人となり、明 治35年(1902)より、同40年の5年間、苦心に普心を重ねて完成したもの である。
 迫から始まり、大東、当摩、土手、下道、湾戸、やぶのはな、宮の前 袖解、狐崎、銀山、松川、安原に至って終わるもので、老人、婦人、女子 の足で、一日コースに適した巡路が選定されてあることは、今日から考えて ても意義あるものであろう。
 当時の世相としては、老人、婦女子がゆっくりと閑暇(レジャー)を見出して、ー日清遊をするということはなかなか困難なことであ ったが、信仰と結びつけて半ばその目的を達することができるような社会的環 境を作ったことは、庶民生活に潤いのある豊かさをもたらすものであって、決し て無意義なものではなかった。

 歳月の流れというものは恐ろしいもので、明治41年というと今年から逆算す ると92年になる。その当時のことが忘却のかなたに流れ去っていることが少な くない。そんなとき、河合利保さんが昭和38年(1963)兄の隆さんが吉浜西 国三十三カ所沿革考を作ったものを見せていただき、その修正板としました。
 また、最後まで見つからなかった第30番が、がんこ山室厳寺千手千願観 世音が箱島で見っかり、施主不明だったのが祖父丈太郎と判明、それも観 世音様が手助けしてくださったと思う。石造りでありながらも施主の氏名の判読 できないものもあり、元の場所が不明のものもあった。
 旧11月13日、お大師 様の晩には、お接待があちこちで行われていたのが、今日行われているのは 大東ぐらいである。大正時代には、春の彼岸ごろになって畑の麦が六寸くらい に青々と伸び、農作業もちょっとひと休みといったとき、5,6人の人達が巡礼 者となって、のどかな鈴の音に合わせてご詠歌を唱和しながら吉浜西国を巡 る姿もちらほらと見かけられ、楽しそうであったと聞く。
 吉浜西国三十三カ所の巡礼をレジャーにまた吉浜再発見の村おこしに利 用していければと思います。今も施主不明がニヵ所あり、まだ完全ものではな いが、後日不備の点は補いたいと思う.。
 これをまとめるに当たって河合隆さんの資料を使わせていただきました。河合 利保さんにも大変お世話になりまLた。
             平成六年一月

北村 卓士しるす
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13、旧金浦町坂東三十三観音霊場

1701年3月創建された。
願主  大河村甚三郎
吉浜村  半右衛門  宮助  板治郎  秋助  石工笠岡久七 大河村  杢八  徳八  甚三郎  与三郎  千右衛門 清吉     大下村  保太郎
吉浜村  儀七郎  庄兵衛  善助  左太郎  清助
金浦から始まり吉浜 大宜  城見  陶山  西大戸  東大戸 大河  相生  を回る28キロの行程です。
道は舗装されていて自転車で巡れば。山坂あり、きついですが3時 間ぐらいで回れます。
お問い合わせは金浦公民館まで
電話  FAX O865−66−3433

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14、金浦八十八ヶ所霊場

山道の第59番札所から第71番札所は現在通行不可能です。山道 の第19番札所から第22番札所はイベントあるときは整備し通行 できます。
光明院を一番寺として、天神社、行者山、荒神社、八幡神社、中山、東墓地、 金崎山、馬頭観音、旧国道、地蔵堂、西墓地、妙見山、新川、相生橋、吉田川 左岸、地蔵堂(88番寺)で終了。
金崎山にあった28〜40番は角田工業の採石により、採石場内に集め祀 ってある。
37番岩本寺は2ケ所あり、53番円明寺は無い。
金浦(西濱)村は中世魚渚(いおすな)郷の遺称地
お問い合わせ先   金浦公民館まで
電話  FAX  0865−66−3433

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15、備中吉浜 陶山 城見 四国八十八ヶ所霊場

八十八ケ所霊場は花崗岩船形光背本尊と花崗岩船形石丸彫りの大師 像があるが、大師像だけです。
風化が激しく文字が読めないのが多く、特定するのが難しいです、 屋内にありはっきり読める、吉浜東のお堂にある19番札所や 陶山にある30番32番33番札所、城見のお堂の所にある81番 66番札所から想像し吉浜、入田、陶山、城見と回っていることが 想像できる。大正時代には吉浜から城見のほうに巡っていたそうで す。

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16、笠岡新四国八十八ヶ所霊場

吉田公民館に霊場巡りの冊子あります。

この霊場の創建については、笠岡西の浜の遍照寺本堂左脇にある第 一番札所の銘よると、発起人  熊越弥八郎、寛政9年4月とあり、 昭和50年に西の浜の現在地に移築されたので、一番札所の像もそ の折に移されたものである。仏像の紀年名は寛政9年10年ものが 最も多く17基、天保、弘化、文久、明治ものもあるが、これは1 部で後補のものと見るべきである。
遍照寺にある1番の仏像は花崗岩製で、大きい台石の上に蓮華座を 設け、高さ1メトルの舟形光背半肉彫の太師立像である、3番は同 様の形式であるがやや小振りである。5番は2重の台石に蓮華座が あり、その上に丸彫の大師像が端座しておられる。以下このような 像で小振りなもの、本尊併置のものなどまちまちであり、堂内に収 まっているものも多い、地福寺にある10番の本尊像は優品である。
昔札所巡りは、吉田の高称寺の住職さんが、信者を募って春3月に 3日間の行程で巡られていた。札数は笠岡21、小平井7、 吉田32、関戸11、新賀、5、園井12、である、

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17、北川昭和新四国八十八ヶ所霊場

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18、北川西国三十三観音札所

   北川昭和新四国八十八ヶ所霊場と同じ場所にあります。が現在全部は見つかっていません。

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19、旧大島村八十八ヶ所霊場

江戸時代の大島は、大島村の中に東大島〔現寄島〕、大島中、 西大島があった。八十八ヶ寺の霊場は、大島村中の札所として創建 されたものである。
東大島は、明治9年に六候院西村の一部〔安倉〕と合併して、寄島 となった。

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20、大島中西国三十三観音霊場

この札所は十字バス停留所の所が1番札所で時計回りに周り31 番、32番札所が山王宮神社にあります。
1番札所から天神池の所の8番札所までと31番32番札所まで は道路がきれいでいつでも巡ることが出来ますが、5月以後は他の 札所は草が生えて困難です。
毎年旧暦3月十字と乗時の町内の人が道の草刈を済まし、三十三観 音霊場巡りをしています。

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21、御岳山三十三観音霊場

現在全部周るのは困難です。
岡南堂を基点に、伝兵衛山の1番、2番から始まり、川手より野山道 を通り御嶽山の東尾根から、頂上の10番観音、頂上より北に下り、 西コースを通って石砂に至る。
この霊場は文化11年(1814)に創建された。

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22、大島三つ石33観音

御岳山の東の裾野一帯にあり土砂崩れなどで不明の所あり大島の 浅野さんたちが探しています。

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23、横島西国三十三観音霊場

入り江が1番札所、横島に5番札所、6番札所、7番札所が現在見 つかっています。