笠岡市内のミニ霊場(その2) |
先日笠岡在住の北村卓士さんから「笠岡市内のミニ霊場」という資料を送って頂きました。みると岡山県西部笠岡市にはいわゆるミニ霊場が34ヶ所もあると、その詳細が記されています。神島の四国88ヶ所霊場は昔から有名で、私も子供の頃から知っていたのですが、ほかにもこんなに多いとは驚きでした。北村さんは「市内にこんなに多いのは全国一かもしれない」とおっしゃっておられます。 そのうちいくつか調査してから・・・と最初は思っていたのですが、どうもおぼつきませんので、今回その資料の大要を何回かに分けてアップさせて頂く事にいたしました。(2011,2)
笠岡市内のミニ霊場(その2)・吉浜、金浦、北川、大島 目次
12 備中吉浜西国三十三観音霊場
ゆっくり周っても3時間半ほどです。トイレも小、中学校などに
あり、女性でも心配なく周れます。
確立の経過
歳月の流れというものは恐ろしいもので、明治41年というと今年から逆算す
ると92年になる。その当時のことが忘却のかなたに流れ去っていることが少な
くない。そんなとき、河合利保さんが昭和38年(1963)兄の隆さんが吉浜西
国三十三カ所沿革考を作ったものを見せていただき、その修正板としました。
1701年3月創建された。
山道の第59番札所から第71番札所は現在通行不可能です。山道
の第19番札所から第22番札所はイベントあるときは整備し通行
できます。
八十八ケ所霊場は花崗岩船形光背本尊と花崗岩船形石丸彫りの大師
像があるが、大師像だけです。 |
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この霊場の創建については、笠岡西の浜の遍照寺本堂左脇にある第
一番札所の銘よると、発起人 熊越弥八郎、寛政9年4月とあり、
昭和50年に西の浜の現在地に移築されたので、一番札所の像もそ
の折に移されたものである。仏像の紀年名は寛政9年10年ものが
最も多く17基、天保、弘化、文久、明治ものもあるが、これは1
部で後補のものと見るべきである。
北川昭和新四国八十八ヶ所霊場と同じ場所にあります。が現在全部は見つかっていません。
江戸時代の大島は、大島村の中に東大島〔現寄島〕、大島中、
西大島があった。八十八ヶ寺の霊場は、大島村中の札所として創建
されたものである。 |
この札所は十字バス停留所の所が1番札所で時計回りに周り31
番、32番札所が山王宮神社にあります。 |
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現在全部周るのは困難です。
御岳山の東の裾野一帯にあり土砂崩れなどで不明の所あり大島の 浅野さんたちが探しています。
入り江が1番札所、横島に5番札所、6番札所、7番札所が現在見 つかっています。 |