倉敷一円に四国ミニ霊場が
倉敷八十八カ所霊場巡り

 ご近所のお宅に標題のようなポスターが張られていました。なになに、「倉敷八十八カ所」って?おそらく江戸時代に作られた四国ミニ霊場なのだろうと思いましたが、具体的に知らなければ話になりません。一度参加してみることにしました。

鶴形山の観龍寺が主催で

 3月のある日、倉敷市の中心部、鶴形山の観龍寺駐車場に、何と120人を越える人達が集まっていたのです。どうやらこの10年ほど、観龍寺さんを中心にこの「倉敷八十八カ所霊場」の見なおしと復興がはかられ、毎年3月と11月にこうした巡拝の催しが開かれているようでした。
 また今回から「倉敷八十八カ所霊場会」「同保存会」も発足し、活動が始まっているとのことでした。

鶴形山から始まって

 江戸時代末期に整備されたこの「倉敷八十八カ所霊場」、長い間に石の堂宇そのものが都市開発などで移転してしまったものも多く、順番には並んでいません。そこでこの会では新しい巡拝路を開拓して、みんなで廻っているとのことでした。
 まず最初は観龍寺駐車場から東へ50m、倉敷公民館北の74番でした。石堂です。次は階段を上がって観龍寺境内の17、75番。ここでみんなでラジオ体操。90ヶ所あまりという気の遠くなるような巡拝に備えます。
 ここからずっと廻り込んで、鶴形山の北側を巡り78、79,13,51番となるのですが、76、77番は今は失われているといいます。やはり都市中心部のせいなのでしょうか。
 続いて鶴形山東の山裾を巡ります。81、83、82、84、32番。そういえばここらあたりは私もいつも通っている所です。これがそうだったんだ!新しい驚きを何度も感じながら、みんなの後ろからついて行きました。ご近所でポスターを貼っておられたHさんから貸していただいた、パンフレットに目を通しながらの巡拝行です。

17番78番82番

向山方面へ

 ここから鶴形山を離れ、アイビースクエア前を向山に向います。山に取り付くと続いて、85、86、87、88番、そして88番奥ノ院があります。途中に66番もありましたが、古くはいちおうここが満願達成の場所なのでしょうか。
 ところがここからまた、10,9,8,7,6,5,4,3,2,1番と続いたのです。8番横の向山公園が最初の休憩所でした。1番さんは向山を少し上がった雑木林の中でした。ここは古い「向山越」の道だったのでしょうか?。
 そして、1,2番の横に11、12番がありました。だらだら下りながら、13,14,15,16,18と続き、向山公会堂として使われている大師堂に17,19,20番があったのです。地図をみますと、この少し先が倉敷市羽島、二日市と江戸時代の帯江戸川領になります。向山の倉敷村(当時)東端近くです。
 その東横から道は一気に向山を南へ下ります。21、22、23と順に続き、36、37番で山を下り切る少し手前の墓地沿いに西へ。38、39〜41番。そしてまた少し右山中に入り込むのです。42から51番へと進んだところで公会堂です。ここは「倉敷市新田」、この八十八ヶ所が成立したころは、この正面の土地が干拓されてもう200年近い年月が経っていたことでしょう。それでもこの八十八ヶ所は古い山越え街道沿いに「ミニ霊場遍路道」として整備されたと想像されます。

88番1番21番

船倉町の山裾をぬうように北へ

 ルートはときおり県道倉敷玉野線(天城街道)に下りながら、また何回も山に取り付きながら北へと進みます。53〜56、そして小町トンネル西入り口を越えて、57,60番。さらに少し山へ上がって、58〜64、64番は長連寺というお寺さんの境内でした。もっともこの範囲には46,47、29,49といった離れた番号のお堂も立ち並んでいます。  そして山を下ったところは、アイビースクエア横、山陽堂というアンティックショップの横だったのです。ああ、ここに出るんだったのか。何と向山へ取りついた上がり口から70mほどのところでした。旧倉敷村領の向山をほぼ1周してしまったのです。

28番54,55,56番長連寺の49と64番

美観地区を抜けて街中へ・不明の札所も

 65番を見て、ルートは倉敷美観地区を横断します。66番はさっきの向山上がり口にあったなとパンフレットを見ながら次の48番へ。
 大原美術館裏あたりの67、観光バス駐車場横の68番。古い町並みをぬうように進んで、69,70番を巡拝します。
 北へ町並みを抜け、川西町を越えたところに49番。大きな大師堂でした。最後は「あ、ここなんだ。」と思わず言ってしまった80番。20人ぐらいが入って拝める80番は、倉敷駅前大通から西に入ってすぐの「新町大師堂」でした。
 パンフレットには「この辺り、71,72、73番が不明」と書かれていました。この3つを含めて現在6ヶ所が不明だそうです。また「○番奥ノ院」というのもいくつかあり、この日に廻ったのは合計93ヶ所だったそうです。とても数え切れませんでした。今日の万歩計「19、555歩」ふ〜、疲れました。おやすみなさい。

70番80番

幕末から明治に設置されたミニ霊場

 結局、向山の旧倉敷領一帯、倉敷の旧街中、そして鶴形山周辺にこの「倉敷八十八カ所霊場」が設置されていることがわかりました。
 それぞれの石堂には、正面に「○番 ○○寺」と書かれています。また周囲に施主達の名が書かれているのも多くありました。中の石仏は小さいものが多く、多くは複数でした。また背石に2つの仏が刻まれているのも多くみかけられました。
 設置年代が書かれていたのは30ヶ所余りです。1番古いのは88番奥ノ院の文政4年(1821)と読み取れました。88番は「弘化2年」(1845)で、大正14年(1925)に修理されていました。年代は続いて天保、安政、そして明治4年あたり、さらに明治20年(1887)代へと続きます。
 おそらく明治維新から3〜40年前に、倉敷商人達有志の手で設置しはじめられ、明治へと営々と続けられたのでしょう。もしかしたら、倉敷商人たちが力をつけてきた文化文政のころ、倉敷88ヶ所ミニ霊場として成立し、50年程度かけて順次立派な石のお堂が建てられていったのかもしれません。
 今回倉敷市の文化財にもなるようですが、宗教を越えて倉敷の文化の1つの礎として、多くの皆さんに普及するといいなと思いました。(2005,3)