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不洗中庄西国33観音26-30

26番はJR中庄駅南東のがけの下、27番は宝憧院前の道を鳥羽からずっと東へ行って、徳芳に入って左山上の「來迎寺」というお寺にありました。28-30は、中庄駅東から北へ入る細い道に順に並んでいます。

 26番JR中庄駅南側の道路を少し東に進みますと、駐車場横を山側(南)に入る道があります。そのつきあたり、がけ下にありました。昔は25番のところからここへと道が続いていたもののようです。
 27番はなぜかルートからずっと離れています。宝憧院前の道を鳥羽からずっと東へ行って、徳芳に入り左山上の「來迎寺」というお寺にありました。ここはもうお寺の跡と言ってよく、お墓ばかりが残っています。なぜここだけ離れているのか不明です。当時の來迎寺がこの33石仏観音の成立にかかわったのでしょうか?
 28番は、中庄駅の東から北へ入る細い道があり、左にマンションをみながら進みますと、右にありました。。
 29番は、28番からさらに北、これも右の田んぼの中にありました。。

 30番は29番からさらに北、途中で田んぼ道に入っていくのですが、それが切れて広いところへ出ます。そこへこれまでのよりもひときわ大きく、約75cmの舟形石のものがあります。土台石には「安政7」(1860)と書いてあります。不洗観音寺裏の33番(1852)より8年後です。

 この30番からまっすぐ北へ進みますと、六間川を渡り、古い主要街道である「鴨方街道」の松島というところに出ます。今の川崎医大の裏手にあたり、両児神社のすぐ西でした。そしてここに写真のような「くわんをんみち」という道しるべがあったのです。
 これで、この「不洗中庄33観音」が、鴨方街道から不洗観音への参拝道に立て並べられたものであることがはっきりしました。
 しかし、31番が良くわかりません。ちょっと不思議です。