不洗中庄西国33観音タイトルに戻る

中庄石仏は「松島観音道」でした。しかし新しい謎が??

「松島観音道」発見
 私の「不洗中庄石仏」取材は、ほぼ順調に進みました。というのも、ご近所のOさんご夫妻が調査された記録があったからです(感謝)。
 不洗観音寺前の1番から始まって、東北にほぼ直線で続きます。ゴルフ場の中を抜けて、マスカット球場横を通り、倉敷高校横から中庄駅東を通って、ついには六間川に達します。そしてそのむこうは、「鴨方街道」の松島だったのです。「くわんをんみち」の道標がありました。
 「不洗中庄33観音石仏」は、江戸時代の主要街道「鴨方街道」の松島から不洗観音への御参り道(参道)に立ち並んだ・・・。しかもその道はほぼ直線で松島と不洗観音寺とを結んでいるのです。「松島観音道」と言っていいでしょう。

そして「百舌鳥が鼻観音道」も!
 しかし、私の取材はまだまだ不完全でした。「31番はどこだ?」が残されたのです。30番は「北の観音道」の六間川のところです。そして32番は離れて「中庄自動車学校」前あたりにあるのです。じゃあ、31番は??。想像されるのは、自動車学校入り口と、鴨方街道のどこかの間・・・。
 地図を見ますと、自動車学校入り口あたりと鴨方街道の接点は、同じ中庄の「百舌鳥が鼻」になります。そういえば、百舌鳥が鼻から北へ踏切を越えたあたりに、何かあったような??昔通った記憶をたよりに探しました。
 そして見つけたのです。狭い旧街道らしいところの民家のブロック塀に埋め込まれた「27番」さんを。山陽本線の踏切のすぐ北側でした。そこからちょっと行ったところに鴨方街道があり、大正のころの道標がありました。見れば六間川の横です。南六間川と東六間川の境になる「樋門」がある横でした。もう間違いありません。ここからもう一本の「観音道」が続いていて、その道沿いに別の「石仏33観音」が立ち並んでいる・・・。
 でも、27番が最初とはどういうことなんでしょうね?。ともかく旧街道と見られるところをたどってみました。踏切を越えて南へ、旧2号線を越え、中庄の狭い道を歩きます。しばらく行って左に入ったところ、これも民家のブロック塀に埋め込まれて「28番」さん。そのまますすみますと広い道へ出たところにあったのが「金毘羅灯篭」です。あ、ここも金毘羅道になっていたんだ・・。
 あちこちたどって、29番、31番を見つけて、無事大通りに出たところは、見事に自動車学校入り口だったのです。では、このさきにある「32番」は「松島観音道」の32番でなく、この「百舌鳥が鼻観音道」のほうの32番かもしれない??。

27番28番
29番31番
一度に謎が深まりました。
  1. 中庄石仏33観音は、鴨方街道松島からの観音道に立ち並んでいたのだが、31,32番が不明
  2. 百舌鳥が鼻観音道にも石仏33観音があるのだが、なぜか27番から始まって28、29、31番と続いている。その前の26観音はどこだろう??。鴨方街道沿いには無さそうだし、百舌鳥が鼻の街道の西から北へと始まる、生坂、水分かれ、山手の線には車で走ったところではなさそうです・・・。
  3. 3、そもそも不洗観音寺の観音道って、何本あったのでしょう?。今回明らかになった「松島観音道」「百舌鳥が鼻観音道」、そして南からの「中帯江観音道」。

     「百舌鳥が鼻道」の観音様が27番から始まっていることから想像するに、まだ石仏が立ち並んでいる「観音道」があるかもしれません。地図から想像すると、倉敷市大島あたりからの「西ルート」なのでしょうか?

     さらなる調査を続けたいと思います。<求む関連情報(2005,3)