由加山古道に立ち並ぶ仏たち

 「由加山にも石仏観音があるよ。」と教えられたのは少し前のことでした。由加山といえば「由加神社」「由加山蓮台寺」などがあり、かっては四国の金毘羅さんとともに、「両参り」で栄えたところです。私はといえば、ほぼ40年前の青年時代のハイキングで、そして先年の同窓会で由加温泉を訪れたという程度の記憶しかありません。そういえば近いのにまともにお参りしたことがない・・・。

「瑜伽山」「由加山」?

 字で書けば「瑜伽山」「由加山」の2つがあるようです。また「由加神社」「由加山蓮台寺」のほかに「瑜伽大権現」という呼称もあり、いったいどれが正しいのだろうと、私などはまよってしまいます。
 こうして来て見ますと、四国の金毘羅さんと両参りの「由加神社」、お寺としての「由加山蓮台寺」、そして「瑜伽大権現蓮台寺」、どれもそれぞれ正しいということがわかります。
 かっての神仏混合の時代は、渾然一体の「瑜伽(ゆが)さん」として、信仰を集めたということが想像されます。現に中央の由加神社をはさんで、左(西)に蓮台寺、そして右には同じく蓮台寺の観音堂、多宝塔などが並び立っているのです。
 ところどころに「ここは蓮台寺の駐車場です」などの注意書きがあり、明治になっての「廃仏毀釈」で無理やり分けられたあとが痛々しいという感じを受けました。

由加山蓮台寺瑜伽大権現由加神社

瑜伽さんの周辺約2キロに石仏33観音像が
 由加山蓮台寺でお尋ねしました。「ああ、古瑜伽三十三観音ですね。」と、地図をいただきました。また前の茶店では地元の詳しい女性がおられ、「私も何回も廻りました。大変ですよ。」と詳しく教えていただきました。
 地図で見ますと、由加山蓮台寺を中心に、四方に配置されています。どういう並びなんだろう?思わず考え込んでしまいました。
 最近ではないようですが、少し前には地元の方々を中心によく巡拝されていたようです。こうして巡拝していますと、あちこちで「以前に私らも廻ったんよ。」というお年寄りによく出会いました。

今は子供たちがオリエンテーリングで廻っています
 ここ、、由加山には、由加山蓮台寺、由加神社、そして由加温泉のほかにもうひとつ、「倉敷市少年自然の家」があります。小学校高学年の子供たちが「山の学習」で学ぶ施設です。 ここの先生方が、平成2〜3年ごろこの「古瑜伽三十三観音石仏」を整備され、看板も立てられていました。今では子供たちのオリエンテーリングコースとなり、毎年多くの子供たちが廻っているとのことでした。
 そしてここではそのオリエンテーリング用の詳しい地図を頂きました。本当に詳しく、そのおかげで周辺の地理に不案内な私でも何とか33全部廻れたといえます。
 地図には「由加山村三十三札所観音めぐり」とありました。えっ、山村??

四方からの由加古道に立ち並ぶ石仏観音
 途中でお年寄りに教えていただきました。「ここいら全体が昔は『山村』と言っていたんです。由加さんあたりが小字由加、そしてここ(東の村)が小字本村だったんです。」納得。
 しかし最初はこの石仏観音たちが、どういう配置で並んでいるのか全くわかりませんでした。周辺の山の中にポツリポツリと文字通り孤立して立ち並んでいるようにも見えたからです。
 しかし4〜8番が、どうやら南からの参拝道らしいところにあったこと、特に8番は大鳥居の横でした。
 そして決定付けたのは20番でした。どう見ても谷の向こうに孤立してあるのです。どうしてあんなところに??ところが偶然居合わせたお年寄りに教えていただきました。「昔はあそこをお遍路さんが続いたものですよ。あの下の池のところから上がってきて、向こう側へ行くんです。」
 そして21番のところでは「あそこから北へ降りると奥迫川へ出るんです。ここは上峠(かみとうげ)言います。」
 また28番では「この前の道が昔の本道なんですよ。」(右の写真)
 たくさん教えていただきました。もう間違いありません。この「由加山村33観音石仏」は由加山への四方からの参詣道(古道)に立ち並んでいたのです。今はもう失われた道も少なくないようですが。
 地図を見ると、北西の倉敷市児島郷内方面、北東の灘崎町迫川(’05年から岡山市)方面、東の玉野市長尾方面、そして南の倉敷市児島田の口方面からと四方から古道が続いていたことが想像されます。  そして由加山から約2キロばかりのところへ来ると石仏群が現れるようです。昔のお遍路さんたちは「ああ、由加さんまであと半里になった。ありがたい。」とほっとしてこの石仏を拝んだのでしょう。
 しかし、2、3番などいくつかは少し外れているようで、2、3番は古道ちかくでも、古来からの「いわくら」信仰の跡に配置されているという気がしました。
 この石仏たちの成立年代は、由加山観音堂横の15番の土台にありました。「安政四」とかろうじて読み取れます。1857年で、幕末激動期のようです。

 とにかくこの「由加山村33観音石仏」、大きさも様々で、配置も変化に富み、十分に楽しむことが出来ています。あと7つ、頑張ろう。(2005,3)