岡山市足守地域の歴史探訪 |
![]() ![]() 今日は多津美公民館の館外講座「足守・高松方面です。庄公民館との合同で30人の参加でした。
今の岡山市足守は江戸時代は木下家2万5千石の領地でした。「ねね(豊臣秀吉の正室)」の兄を初代とする藩です。 |
裏手に木下家の墓所がありました。大名とはいえ小大名、そう大仰なものではありませんでした。それより全面に杉原家のお墓が並び、この木下家が元は杉原家だったことをものがたっていました。「足守の杉原家から新田に出た」という伝承のあるわが杉原家も、あのどちらかの杉原家墓と関連があるのかなと、興味深くながめてきました。 ![]() ![]()
ここに杉原家の調査で通ったのはもう十年以上前になるのだな・・・と感慨深く歩いていましたが、どうも当時とはだいぶ違って、様々な整備がなされているようでした。2家の家老杉原家の1つ、山の手杉原の屋敷跡は、当時は雑木林同然でしたが、この日はもう新しい立派な他家のお屋敷が立っていました。 |
個人で入ったのではなかなかお目にかかれない足守文庫、初めて中を見せて頂きました。小大名ですので意外と少ない展示です。でもお籠などなかなか保存状態は良かったです。 |
家老の杉原家旧宅は今「旧足守藩侍屋敷」として公開されています。全国的にも珍しいくらい保存状態の良い上級武士の邸宅として注目されているようでした。ここも先祖の地として何回も訪れています。懐かしいのですが、こうして解説を聞くとまた改めて愛着さえ湧いてきますね。
武家街でなく商人街の中心にあったこのお屋敷。醤油の醸造で財をなしただけにひろいお屋敷でした。足守の陣屋町としての繁栄がしのばれました。
秀吉の水攻めで有名な高松城、ここも本当に久しぶりでしたが、よく整備されていて驚きました。部下たちの命と引き換えに自刃した清水宗治の首塚も注目を集めていました。 |
備中高松城水攻めは、3キロにわたって堤防が築かれたというが、実際にはそんなに必要なかったと言われています。その出発点となったこの堤跡からおそらく数100mではなかったのかと? 今発掘されて内部構造なども明らかにされています。
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