「遊放ぶらり旅」のページへ戻る

神話の島・淡路島七福神めぐり
 今年の初詣はどこに?と思って検索したところ「淡路島七福神」というのが目にかかりました。昨年は近くの浅原安養寺で七福神にお目にかかったのですが、では今年は淡路島へと出かけてしまいました。
 実は私、淡路島は実質的には初めてなのです。高速道で明石から鳴門へ渡った、またその逆の経験はあるのですが・・・。そういえばイザナギイザナミの神話で日本列島の最初に産み落とされたのが淡路島だっけ?それにしても話題の少ない地味な印象の島だなー?
 どんなとこだろう?興味津々でもありました。

まずは「大黒天」のお寺さん

 明石大橋を渡ってすぐに国道28号線を南下しました。淡路島の東の海岸線を通っているメインの国道です。なかなかいい道ですね。そこここに長浜、厚浜とかいかにもという漁港が顔を出し、いい風情のドライブです。
 佐野というところで、ここも漁港でしたが、最初のお寺さん、大黒天を祀った「八淨寺」に出会いました。いちおうここが七福神の総本山を唱えているようです。「大きな袋を肩にかけ~大黒様がきかかると~、そ~こに因幡の白兎~・・・・」う~ん、赤裸にされたウサギを治したお医者さんだったのですね?現代医学もかなわない名医ではありませんか?
 あの袋には何が入っているのだろう?どうやら庶民の苦労を買って出て、それをあのふくろ(福労)に入れているらしいです。昨今のご時勢ではさぞかしお忙しいご身分で、あの袋も想像以上に膨らみすぎているのかな?ありがたやありがたや・・・・。
 八淨寺、もとは浄満寺だったのが「八幡寺」と合併してこの名前になったらしいですね。後でわかるのですが、そういえばこの淡路七福神、多くののお寺さんがお隣に八幡神社をお祀りしてあり、おそらくかっては八幡神社の別当寺と想像されました。七福神がいつごろ始まったのかはわかりませんが、かって仏教の守護神とされた八幡大菩薩が、ここ淡路島でも多くのお寺さんで祀られていたのは確かのようですね。

長寿の神「寿老人」さんのお寺

 そのまま国道28号線を進んで出会ったのが「宝生寺」です。ここにお祀りしてあるのは、長寿の神「寿老人」さん。「いつのまにか、ふと気がついたら100歳を超えていた・・・」が目標の私にとって、格好の神様です。ああ、ありがたやありがたや・・・。えっ、「そんなことより、長生きしようと思うのならば、アルコールを減らしたほうがいいんじゃあない!」ですって!!ごもっともごもっとも。それができないからの神頼みなんですよ。お歴々・・・。
 ということで、「一回渡ったら10歳長生きできます。4回渡ったら40年???」なんて境内の長寿橋を真面目な顔をして渡ってしまう私でもありました。な~~~んてね。「鶴と亀とお~の・・・・」なんて歌が浮かんでくるお寺さんでもありました。
 
 でも、ここで気づいたのは、寿老人さんの祀り方です。本尊様の地蔵菩薩のお隣に、どう見ても神道に近い祀り方です。そして「二拍手」して、般若心経を唱えて、「おんばざらゆせいそわか」と真言を唱えるのです。かっての神仏習合の姿そのままがここにもありました。淡路島七福神さん、日本の宗教の歴史をここでも学ばせていただけるようでした。ありがたやありがたや・・・・。

山坂越えて「福禄寿」さんでした

 さて、淡路島東岸に別れを告げて、島を西へ横断。ああ、淡路島って山が多いところなんですね。地図では平らな印象でしたけれども、こうして車で走ってみますと、なんと坂の多い土地なんでしょう。本当に「山坂越えて」たどり着いた西海岸です。風の強い日でしたが、それでも海が穏やかだった東の大阪湾に比べ、なんと西の瀬戸内海の波の高いことでしょう。
 「長林寺」、西海岸の都志というところにあったお寺さんです。あれっ、そういえば福禄寿さんって、頭が長いんですね。元々は中国道教の三星「福星・禄星・寿星」らしいです。日本はなんでも一緒にする、良き?癖がある象徴なのかな?
 
 ここでも本尊の観音様を横にいておいて、バスで訪れた七福神めぐりの団体さんのために般若心経と「おんまかしりそわか」と真言を唱えているのは、淡路七福神一般のお姿でもありました。あ、「おん」と「そわか」は同じですから、福禄寿さんのお名前は「まかしり」さんでいいのかな?えっ、道教の神様にもサンスクリット語のお名前があるんだろうかって???まあ、あまり深く考えないほうがよさそうですね・・・。ありがたやありがたや・・・。

「弁財天」様も多くのお参りが

 淡路島は海岸沿いに多くの漁村と思しき集落があると同時に、中央部は多くの小さな盆地的地形に恵まれ、段々畑を擁する小さな村々が連なる、本当に夢多い土地という気がしました。ここも明神という西海岸の家の建て込んだ漁村から、裏山を越えたところに開けた小村にあるお寺さん「智禅寺」でした。車は明神の街中の狭い路地を抜け、なぜか「あと100m」なんて看板からほぼ1キロメートルも走ってたどり着いたのです。あ、観光バスが狭い道々で苦労されていましたね。
 七福神唯一の女の神様弁財天、弁天様です。途中、瀬戸内海の荒波がザブーンと車のフロントガラスにかかるなか、楽しみで楽しみでたどりついた弁財天様です。なんと、八本の手をお持ちの自在弁財天が前に立ち、いつもの琵琶を抱えた小さなお姿は後ろにでした。それでも「この一年、幸せでありますように・・・」。勝手なお願い聞き届けていただけるのでしょうか?そうですよねー。本人の努力次第ですよね。ごもっとも。仕方ございませんです。でも、神頼み神頼み!すこしでも気が納まればというのは凡人の願いでございますよ。お許しくださいませ。弁天様さま様!!!
 

淡路島最古というお寺さんに「毘沙門天」

 ここから先は淡路島南部の三カ寺です。国道28号線が内陸部に入り込んだところから左右に分かれて訪ねる三カ寺でございました。まずは毘沙門天の「覚住寺」さんです。おやここもお隣が八幡神社ですね。きっと昔は別当寺だったのでしょう。「淡路島最古のお寺」という解説がありました。
 
 日本で「天」のつく神様は、元はインドのヒンズー教の神様だそうですね。この毘沙門天様、そのなかでも勇ましく鎧を着た武将姿。戦の神様だそうです。こわ~いですね。あ、そういえば昨年の浅原安養寺さんもご本尊が毘沙門天でしたっけ。あちこちでお祀りされているようですね。般若心境を唱えた後のお坊さんの解説で「この神様は多聞天とも言いまして、民衆の願いを聞く神様でもあります。」だそうでした。多聞ですから、聖徳太子みたいに7人いやそれ以上の人の声をいっぺんに聞けるのかもしれませんね。いっぺんに好感度アップの毘沙門様でした。

布袋さんの護国寺

 次は布袋さんです。中国のあのメタボのお坊さんです。実在のお坊さんを神様にするとは、日本ならではではありませんか。大黒天と同じように袋を背負い、こちらは困った人への贈り物だとか。あ、サンタクロースだ!!。そうです。サンタクロースです。それも年に一回でなく、年中出ていらっしゃる・・・・。ああ、ありがたやありがたや。日本人は年に一回なんてことは決して考えなかったのでしょうね。今日も布袋さんが贈り物の袋を背負っていらっしゃるのですよ・・・。
 
 あ、ここもお隣が八幡様ですね(右写真)。七福神さんは、八幡さんがよほど好きだったのかもしれませんね。あちこちで結婚していらっしゃいますね?。
 護国寺って、護国神社を思い起こさせますが、明治になって外国侵略の日本軍の「軍神」を祀った護国神社と違って、こちらは1000年の歴史を刻む「大日如来」を本尊としたお寺さんでした。一緒にするな!のお声が聞こえてきそうですね。

最後になってごめんなさい、恵比寿さんでした

 最後は近くの万福寺の恵比寿さん、いやここでは恵美酒神でした。お隣が造り酒屋さんですから「酒」の文字を使ったのかな?というのは素人の勘ぐりでしょうか?。「万福寺」というのがお寺さんのお名前です。
 
 恵比寿さんは他の六福神と違って、日本独自の神らしいですね。でもどこか外からやってきた神様ということになっているようです。西宮神社の恵比寿様が有名ですが、他にもいろんな形の恵比寿さん、恵美酒さんがあるようです。「めでたい」の鯛を抱えたお姿が多いので、漁業の神様というところも多いようですね。おっとこの万福寺さん、さすが日本独自の神様のこととて、般若心経のあとの真言はありませんでした。そのかわりに、えら~~い説教がありましたけれども。

   帰る途中、近くに「古墳か?」とばかりに思わず車を止めた場所がありました。見ると「淳仁天皇淡路陵」と。淳仁天皇といえば(ここは後で調べたものですけれども)奈良時代の孝謙女帝がいったん退位し、また称徳天皇として復活するまでの間、第47代?天皇となっていた人ですね。なんだか淡路島へ流されて暗殺された人(公式には病死)のようです。天皇家の権力争い華やかなりしころに、その犠牲になった可哀想なお方でしょうか?。いや、ただ権力争いに敗れただけなのかもしれません?。そのお方のお墓がこんなところにあるのも、今日の1つの発見でした。おそらく明治になって陵墓として整備されたのでしょう。

巨大観音像はなぜか廃墟でした

 国道28号線を走っていると誰にでも目に付くのが巨大な観音様。す、すごいです。おだやかに海を眺めておられます。台座を入れて100mだとか。おまけに顔のすぐ下には網のようなものが見え「きっとエレベーターで上がれるんだ。行ってみよう!」

 
 と、ところが下は草ぼうぼう!閉鎖された跡歴然です。お隣の「10重の塔」もすごいのですが、なんだかボロボロになりつつある様子です。う~ん、残念。あの観音様に上がりたかったのに!きっとバブルのときに立てられて、その後倒産したんだ!「世界平和観音像」とお名前だけはすごい立派ですね。
 あとで調べたところ、淡路島出身で成功した(成金のといいたくなりますね)男性が1982年に35億円かけて作ったものだそうです。その後そのご夫婦がなくなった後は持ち主がいない状態に。一時は日に4,000人もの観光客を集めたそうですが、3年前に閉鎖され、あとは廃墟状態だとか。市も撤去費用を工面できずに、最近では時々10重の塔の壁が剥がれ落ちて周辺に被害をもたらしたり、観音様が台風で倒れて来はしないかと戦々恐々の状態が続いているそうでした。
 なんとも罰当たりな事になったものです。2006年にまだ公開されていたときに行った人のレポートがここにありました。あ、私ももう少し早く来てみればよかったですね?。(2010,1)