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西の都『大宰府』のこと

 「こちふかば においおこせよ 梅の花」。そうあの菅原道真が流されていた場所、「大宰府」といえば、古代に九州を治める役所が置かれていたところだそうですね。7世紀の後半から奈良・平安時代を通して西の都として、外国との窓口や防衛拠点になったそうです。でも、道真さんもそこの副長官ならせいぜい左遷されたわけで、現代社会ではよくあることではないですか。何も御所へ雷を落としたり、恨みの数々をして「神」に祀らせたりしなくても・・・。おっと、やはりトップの人の考えることは、私ども下々とはちがうようですね?。ということで2回にわたって太宰府を旅しましたのであわせたレポートです。。ここは今は太宰府市になっています。

太宰府政庁跡のこと

 天満宮への途中、左側に広い広場が見えます。何なんでしょう?と車を下りてみると「太宰府政庁跡」と案内板がありました。1段と高くなった、ほぼ真四角な広い敷地が公園として整備されています。けっこうな広さです。当時の建物の礎石がずっと続いています。ふーん。あのあたりに道真さんが座っておられたのかな?。あの梅の木は・・、もちろんあるはずはありませんけど。

 なんとなく立ち去りがたく、2周も散歩してしまいました。

太宰府天満宮

 やはりここです。恨みをのんで死んだ菅原道真さんのたたりがあまりに恐ろしいため、とうとう「天神様」にしてお祭りしてしまったところだそうです。そういえば日本の文化の中に「怨み」は重要なファクターを占めるんだそうですね。江戸時代の敵討ちは分かりやすいのですが、他にも敗者が神に祀られている例が多いと聞きました。  世紀の大天才だった菅原道真さんにあやかって、学問の神さま、ひいては受験合格の神様とは、宗教を現世利益に結びつける、日本人の宗教観がよくあらわれた例だと思います。
 でも、まあいいか。私の場合は「呆けませんように、お願いいたします・・。」チャリン・・・。でもこの人、今の私より若い59歳で亡くなったんですよね。呆けた経験をお持ちで無いから、私の願いは無理かな??。
 なんてつまらんことを考える参拝者は、きっと私ぐらいな者なんでしょうね。多くの皆様が一見嬉々として参拝されていました。太鼓橋をわたって、石の鳥居をくぐり、中に入って本殿で手をあわせる。お札をいただいて、おみくじを引いて・・・おっ、小吉だ。たぶんこれくらいが一番いいんじゃないかな?。
 ふと横を見ると、「九州国立博物館」という看板があります。あっそうだ。ここも見なきゃ・・。しかし10月16日の開館で、あと少しです。残念。また来よう。

きょ、巨大な朝鮮式山城、大野城

 聞けば、太宰府天満宮のすぐ横の道からあの「大野城」へ上がれるという。これは行ってみないわけにはいきません。とは言ってもこの時の私には、白村江の大敗北のあと、倭を守るために築かれたいくつかの朝鮮式山城の一つという程度の知識しかありませんでした。
 車で大野城の中央部まで乗り込めました。というより県道が大野城を縦断しているのです。来て見ると、太宰府のすぐ北側の山に築かれているではありませんか。北の海からの敵から西の都太宰府を守るためのものだというのがよくわかります。(写真左の右下が大野城復元)
 周囲の城壁は全長8kmといいますから、おや、鬼の城(岡山県総社市)の3倍以上、はるかに大きいのですね。さすが倭のメインの防衛施設です。
 それよりここは大野城市という太宰府市とは違う町になっているのにも驚きました。
 この日は行けませんでしたが、同じ頃、太宰府防衛のために平地に巨大な土塁を築いたそうです。全長約1.2km、幅80m、高さ13mの人工の盛土による土塁で、博多側には幅60mの濠があったとか。『水城』と呼ばれたそうです。
 こうして見ると、過去500年以上にわたって栄えた西の都太宰府、もっと落着いてゆっくり見るだけの所のようです。(ここまでは2005年6月のレポートでした)

いよいよ開館、『九州国立博物館』

 地元の亀山地区土木総代ご一行様の湯布院旅行が、なぜか太宰府に立ち寄ったのです。年末は受験生のシーズン、さすが太宰府天満宮はこの寒いのにいっぱいの人であふれていました。そして、お隣の『九州国立博物館』が開館していたのです。天満宮のすぐ隣にあって、半年前に「ああ、これが国立博物館なんだ。」と納得した建物(右写真)は、何と天満宮から博物館へのエスカレーターの建物でした。そして本物はその奥にかまぼこ形をしてデーーンと建っていたのです。

 入館料420円は格安ではありませんか。そしてメインの展示は何と4Fでした。
 「文化交流展示室『海の道、アジアの路』」と題して、アジアとの交流の玄関だった九州を大きく打ち出したテーマ展示になっています。ふーん。なるほど、さすが九州での博物館だけあるな・・・。でも広い会場で、どこから廻ったらいいのか見当も付きません。
 縄文人海へ、稲作りから国づくり、遣唐使の時代、アジアの海は日々これ交流、近づく西欧・・・どれも九州ならではの素晴らしい展示です。おっと、最新の展示だけにさすがに映像を駆使したものも多用されています。全部ゆっくり見ていると、あっという間に時間が経ってしまいそうです。また次回ゆっくりと来たいとも思いました。  良かったのは写真撮影が許されていることです。もっともフラッシュがだめで「記念写真程度でしたら」ということでした。暗い中の撮影。帰ってみると手ぶれ状態のものが少なくなく、いいのがここへ載せられません。残念。(2005,12)