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今回は倉敷市の南に連なる山並み、昔は島だった連島の『宝嶋寺』について触れましょう。「名刹」なんて書くと「それなに?」って言われそうですが、「古い由緒ある寺院」とでも言いましょうか、要するに有名寺院のことです。名寺といったほうが判りやすいかもしれませんね。 今日は「備中倉敷学」という倉敷の歴史を極めようという団体の『宝嶋寺』見学会なのです。 バス1台に詰め込んだ会員のメンバー、着くやいなや持物堂へ案内され、そこで「倉敷学」のメンバーでもあるご住職から『宝嶋寺』史を講義される次第と相成りました。
宝嶋寺というと、何と言っても寂厳和上ということになります。住職の講演も「今から10代前の寂厳和上が、巻物と冊子を残してくれました。和尚は『住職たるもの、ちゃんと記録を残さねばならない』と言っておられ、その人の残した記録は今でも貴重な資料です。その巻物を解読したものを私のお話の資料にしました。」というところからはじまりました。
「ここは、備中の7本寺の一つで、弘法大師の孫弟子になる聖宝尊師が開基(859年)しています。この人が開基したお寺は、ここから京都へ向かって、段々とあります。」
「庭は小堀遠州の作と言われるものです。また全国に30数カ寺のみという、徳川将軍代々の位牌を収めたお寺のひとつでもあります。」 「寛文6年ごろ、備前藩の池田光政による寺院整理があり、1000寺以上が廃寺されたのですが、このときこ寺の末寺もたくさん整理にあい、多くの僧がここに帰ってきています。」 第40代住職、釈子哲定さんの講演の後は、めったに見られない寺内見学会です。ここは平安当時の古式の形式を残したお寺で、上下2段に別れていて、上段にある本堂は僧の道場としての形式を残しているそうです。また講演のあった下段の持物堂内も、コの字型の部屋配置など、古式にのっとったものだということでした。 |
持仏堂・御簾が下がって神仏混合のようです | 上の段にある本堂 | その内部。ここは修行の場だそうですが、やはり御簾が |