|
今日は高野山にいます。えっ、何でお前がそんなところに?ですって。実は「新西国三十三観音巡り」の第6番宝亀院というところが、高野山にあったのです。大正時代に関西の新聞社が人気投票をして決めたと言う「新西国三十三観音」、西国に負けず劣らず名刹が多く、こうして巡っている私も十分に楽しませてもらっています。そして何でも見てやろうという私、この機会に高野山ちょっと見見学を!!と。なのです。
高野山は真言宗の祖弘法大師が、嵯峨天皇よりもらって、全国布教の根拠地、修行の場として開いたところだそうです。海抜約900m、周囲を山に囲まれた、東西5.5キロ、南北2.3キロの山上盆地になっています。
ちょっと見といっても少しは雰囲気にひたりたいと、宝亀院さんに車を置いて歩き始めました。運良く正面が「大がらん」。高野山一山の総本堂という金堂、真言密教の根本道場という大塔がならんでいます。根本大塔は48.5mの高さだそうです。下から見上げるだけで、その大きさが実感できました。中には巨大な仏像がいくつも祀ってありました。
|
500円出して内部を見学させていただきました。本堂のふすまには部屋ごとに違った様々な襖絵が描かれています。様々な景色やボタンをはじめとした美しい日本画の数々です。中に長安などの中国の風物が何部屋もあったのには興味を惹かれました。遣唐使で中国にわたった弘法大師ならではなのでしょう。
中央を貫く広い道路は、奥の院中の橋まで車で行けるようでした。左右には次々とお寺さんが現れます。どこもここも、特徴ある寺院のようで、ほんとうならゆっくりとお寺廻りが出来たらいいのでしょうね。そして奥の院。弘法大師の廟を一番奥に、杉林の中に江戸時代の大名をはじめ、今の庶民に至るまでの様々なお墓が並んでいる(そうです)。「高野山に行ったら奥の院に行かねば、その雰囲気は感じられないよ。」とあとで友人に言われました。残念、今回の「ちょっと見」、そこまでは足をのばせなかった事を白状しておきます。
車での帰途、九度山というところを通りました。ここはあの真田幸村が拠点にしていたところです。関が原で敗れた真田幸村は、この九度山に隠棲し、「十勇士」たちと反撃のの機会をうかがったのです。 今回の私の「ちょっと見」。懐かしいような、興味深いようなところが連続してしまいました。(2006,5) |