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霊山『高野山』ちょっと見の旅

西国33観音めぐりで

 今日は高野山にいます。えっ、何でお前がそんなところに?ですって。実は「西国三十三観音巡り」の第6番宝亀院というところが、高野山にあったのです。大正時代に関西の新聞社が人気投票をして決めたと言う「新西国三十三観音」、西国に負けず劣らず名刹が多く、こうして巡っている私も十分に楽しませてもらっています。そして何でも見てやろうという私、この機会に高野山ちょっと見見学を!!と。なのです。

弘法大師の最大の根拠地

 高野山は真言宗の祖弘法大師が、嵯峨天皇よりもらって、全国布教の根拠地、修行の場として開いたところだそうです。海抜約900m、周囲を山に囲まれた、東西5.5キロ、南北2.3キロの山上盆地になっています。
 現在は周囲からのドライブウエーが国道となり車で行くのが便利です。今回私は北西側の紀ノ川沿いから国道480号線(西高野街道)を通って上がったのですが、曲がりくねった道が役20キロ、およそ1時間を費やしました。フー。
 で、目的の宝亀院さん(右写真)、高野山の入り口から間もない右奥にありました。古いけれどもけっこう広いお寺さんで、別格本山、「弘法大師が衣をぬいだところ」らしかったです。

さすがにでかい「大がらん」

 ちょっと見といっても少しは雰囲気にひたりたいと、宝亀院さんに車を置いて歩き始めました。運良く正面が「大がらん」。高野山一山の総本堂という金堂、真言密教の根本道場という大塔がならんでいます。根本大塔は48.5mの高さだそうです。下から見上げるだけで、その大きさが実感できました。中には巨大な仏像がいくつも祀ってありました。

あれっ、神社みたい=金剛峯寺

 東へ進み、幾つかのお寺を通り過ぎると、高野山真言宗3,600ヶ寺(全国)の総本山と言う金剛峯寺に至ります。あ、4月末のこの日、門前の桜がちょうど満開でした。素晴らしい。
 私が金剛峯寺に来て最初に思ったのは「あれっ、ここって神社みたい」ということでした。萱葺きの伽藍が続き、あの熊野本宮とそっくりな雰囲気を感じたからです。そのうえ、本堂前には2流の旗がおかれています。このまま「○○大社」と言われても違和感はありません。現に「江戸時代金剛峯寺は山全体の呼称で、ここは青巌寺でした。明治にここのみが金剛峯寺という名前になったのだそうです。同じ明治期には、廃仏毀釈や、それに追い討ちをかける大火により、文化財が焼失、散逸したそうです。

竜安寺をはるかにしのぐ石庭

 500円出して内部を見学させていただきました。本堂のふすまには部屋ごとに違った様々な襖絵が描かれています。様々な景色やボタンをはじめとした美しい日本画の数々です。中に長安などの中国の風物が何部屋もあったのには興味を惹かれました。遣唐使で中国にわたった弘法大師ならではなのでしょう。
 伽藍の周辺には見事な石庭が続きます。「日本最大の石庭」「弘法大師の故郷四国から石を運んで・・」と説明があります。京都竜安寺の石庭が有名ですが、みたところそこをはるかにしのぐここの石庭です。素晴らしいものでした。

左右にずらりとお寺さん

 中央を貫く広い道路は、奥の院中の橋まで車で行けるようでした。左右には次々とお寺さんが現れます。どこもここも、特徴ある寺院のようで、ほんとうならゆっくりとお寺廻りが出来たらいいのでしょうね。そして奥の院。弘法大師の廟を一番奥に、杉林の中に江戸時代の大名をはじめ、今の庶民に至るまでの様々なお墓が並んでいる(そうです)。「高野山に行ったら奥の院に行かねば、その雰囲気は感じられないよ。」とあとで友人に言われました。残念、今回の「ちょっと見」、そこまでは足をのばせなかった事を白状しておきます。

真田幸村の拠点「九度山」

 車での帰途、九度山というところを通りました。ここはあの真田幸村が拠点にしていたところです。関が原で敗れた真田幸村は、この九度山に隠棲し、「十勇士」たちと反撃のの機会をうかがったのです。
 高野山の主要な登山道にあたり、今回世界遺産に登録された「高野町石道」もここを通っています。昔から信者たちで賑わったであろうこの九度山、ちょうど四国の祖谷にも似た景色の山間の集落を連ねたところでした。

 今回の私の「ちょっと見」。懐かしいような、興味深いようなところが連続してしまいました。(2006,5)