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遊放の表京都ミステリー
 御所と哲学の道 

 春爛漫、お天気の異常な良さと桜が満開とのうわさを聞きつけて私、京都バス旅行にもぐりこんだのであります。それも平日の日帰り旅行でありました。

3,980円

 まず、その安さ。いわゆる「サンキュッパー」でございました。ちなみに岡山から新幹線で京都を往復しますと、14,660円。また車で行くと、これも往復約1万円の高速料金のほか、ガソリン代が5,000円あまりというところでしょうか。いずれにしてもこのバス旅行代、およそ1/4の格安だったのです。そのうえにお弁当までついている・・・。
 旅行会社さん、いったいどうしてこのようなことができるのでしょうね?。いや、JRさんや道路公社さんが儲け過ぎの証明なのでしょうか?本日第一のミステリーでございました。

黄砂の前日の異常気象

 あ、異常気象といいましても、この時期にしましては異常にお天気が良かったということなんですね。いわゆる「ピーカン」といいますが、朝から雲ひとつない青空が広がり、それが夕方まで続いたのでございます。まるで秋のように高い空でございました。
 あとで判明しましたところでは、翌日が時ならぬ春の嵐。雨こそなかったものの強い風が一日中吹き荒れ、中国大陸からの黄砂で2キロさきの山も見えないという状態が出現いたしたのです。黄砂は雨が降るまで2日にわたって続きました。あのドピーカンが、この異常黄砂の前兆現象だとは、ついぞ知らない私たちは、これぞ神のお恵みぞとばかり、春の京都を堪能したのではありました。京都ならずとも、お天気現象は日常的なミステリーを運んでくるものでございますね。皆様。

あれっ、意外と質素やん・・(京都御所公開)


 京都御所の春の一般公開。天皇さんが江戸時代末まで住まわれたところだそうです。明治になって万世一系なんて神話が作られたようなのですが、江戸時代は皇室も貧乏で(あ、いや、もちろん庶民と比べられはしませんけど)、従5位○○守などの官位を切り売りして食つないだとのこと。そのころの住まいである京都御所も「あれっ、意外と質素やん・・・」という印象でございました。勿論北京の紫禁城やヨーロッパの豪華絢爛たる宮殿に比べたならばということですけどね。
 いろんな儀式をしたという紫宸殿(正殿)はさすがに立派なたたずまいを見せていました。平安時代(あー気が遠くなるほど昔です)の天皇の日常生活の場という清涼殿。ここを平清盛などがかっ歩したのでしょうか?。そして江戸時代の天皇の日常の住まいだった御常御殿。2つのお庭がございましたが、「あれっ、これって手入れがいまいちじゃあないのかな?」なんて不遜な感想を抱いてしまうような、ミステリーなお庭でありました。我が家の伸び放題の庭と、ちょっと共通性を発見したものですから??
 平日にもかかわらず多くの人たちが訪れていまして、満足に歩けません。前の人についてぞろぞろと・・・。時々立ち止まってカメラを出してパチパチ。ふと気が付くと、まことに魅力的なご婦人と目があってしまいました。お互いにデジカメのシャッターを押し合い、何事も無く左右へ・・・なんて悲しい出来事もございましたが、やはり御所は御所。いい雰囲気を堪能させていただきました。

 あれっ、なんでここへお弁当の写真が??。しかもでっかく!!。これも今日のミステリー、いや、私のお腹が勝手に出したもののようでございます?。

カントかマルクスはいずこへ


 なぜここを『哲学の道』と言うんでしょう。なんでもこの道はあの哲学者・西田幾太郎や経済学者・河上肇などがよく歩き、思索にふけったことから命名された、といわれているようなんですね。たしかに琵琶湖疎水沿いに、風情ある散歩道が続き、そぞろ歩きには絶好です。でもこんなに人が多いんでは哲学的思考などふっとんでしまいそうではありますね。
 ここは琵琶湖疎水の支流で、大津から京都まで疏水が開通した明治23年(1890)、京都の北部地域の灌漑 (かんがい) 用水路として作られたそうです。それにしてもここの桜並木は壮観でした。2キロ近くの疎水の両側にずっと続いているのです。それが満満開でした。桜のほかにも様々な植物があり、目も心も和ませてくれます。最近流行りの言葉では、癒されるというんでしょうか?。
 でも、この人の多さではとても哲学どころではありません。河上肇さんはいずこへ、カントやマルクスさんはどこなんでしょうね。でもしぶとい私は、下手な和歌を詠ませていただきましたです。はい。

 ピーカンの 京都の春は 哲学の道
       さくらの並木と ひとびとのなみ

 途中「若王子神社」がありました。私の地元にある「一王子神社」とも関係が深いのでしょうか。やはり「にゃくおうじ」と読むんですね。世俗から開放されない人の波のなかの散歩に、やっと歴史を思いやる一瞬が生まれたときでした。少しは哲学に近づけたかな?(2006,4)

 PS:では、最後に哲学の道の終点、南禅寺の写真を。