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平城京と遣唐使展
ー吉備真備を訪ねてー
 倉敷市の真備公民館などで活動している「万葉歌を楽しむ会」というのがあります。私も今回初めて知ったのですが、その会主催の「平城遷都1300年」の奈良ツアーに運よく混ぜていただきました。ありがとうございました。バス1台に48人とほとんど満杯の人気ツアー、先生は峰山洋子先生という美しい方でした。
 う~ん、万葉歌??情緒豊かで知性も兼ね備えた方々のツアーのようです。出発前から緊張してしまいました。

平城京と平城宮は微妙に違うんです!

 おりから雨模様の予報です。後ろの席の「私晴れ女です」といわれる美女が唯一のたよりといったツアー。でもその方の威力かどうか、「暴風雨」だった岡山と違って、この日の奈良はなんとか穏やかさを保った一日だったのです。感謝!!
 というわけで、早速に「平城京跡」に到着しました。えっ、何?「平城京」と「平城宮」は違うんだよ!との説明です。わからな~い・・・。あ、「平城京」は都全体のことで、「平城宮」はそのなかの天皇のための宮殿の部分を言うらしいですね。都全体では当時20万人いたけど、平城宮に勤める役人はおよそ7,000人だったとか。あ、3.5%も殿上人がいたんですね。
 バスを降りると早速に「宮」の入り口「朱雀門」が待ち構えていました。そういえば何年か前に来たときは、この門が完成したばかりだったような。奥には盛土が整然とあった様子が思い出されます。現在ははるか北方に天皇がいた大極殿も復元されています。みんなと一緒に大極殿へ!あれっ、宮殿の中を電車が走っている。あれを開通したときには下を発掘したのかな?たぶん昔のことで、そのまま開発!遺跡は壊されたんでしょうね?
 なんて考えながら、寒さをしのいで「大極殿」へと向かいます

あの飾りは何??

 大極殿は一列で通り抜けるようになっています。中に天皇が皆々を見下ろした「高御座(たかみくら)」がしつらえてあります。「なんだただの厨子じゃあないか?意外と質素?」なんて私の感想は無視していただきまして・・・。
 天皇が日ごろ過ごした「内裏」はどうやら横にあったらしいですが、まだまだ復元は手についていないようすでした。何しろこの平城宮跡の発掘はもう60年続いていて、まだ半分しか出来ていないとか?だとすると、わたしはまだまだ50年は生きなくっちゃならない・・・。
 大極殿の渡り廊下にある烏帽子のような玉の飾りが話題になりました。「あれは何!」の質問に、「たぶんこんな飾りもあったかもしれないと復元されました。」だって!あやし~~・・・。

平城宮跡資料館

 横にあった平城宮跡資料館では、解説を受けながらの見学でした。これが素晴らしかったです。吉備の発掘調査でおなじみの硯(すずり)にはなんだか懐かしい思いがしました。でも、全国から産物の6割もの納税をした多くの庶民の犠牲の上に、このような「宮」が成り立っていた・・・という説明には納得といいますか、歴史はいろんなことを考えながら学ばねばならないんだ・・とあらためて真摯な思いに駆られました。でも、当然ですが、ここを撮影できなかったのが残念ですね。

大仏さんの裏の顔

 お昼ごはんの後は、東大寺大仏殿でした。あれっ、何回も来た記憶があるのですが、なんだか違う?特に大仏さんの裏手に回って、光背の裏を見せられたときです。う~ん、記憶がない・・・。これまでは何だったんだろう・・・。脇持の観音様をもこれまではしっかり見ていないのですね。
 前回はいつだったのか?記憶が薄くて・・・。でも今回ならの大仏様をしげしげと見ることが出来ました。ツアーの皆様、ありがとうございました。

大遣唐使展を見て

 吉備真備ゆかりの私たちとしては、本当はここが本番だったのです。でも、やはり写真はダメ。感想も短めにならざるを得ません。
 中国発の仏像がいくつも展示されていました。でも、なんだか日本の仏像に比べて、いかついというか、穏やかさがないです。
 「元々仏像は、偶像のなかった仏教に、アレキサンダーがギリシャ彫刻の影響を与えて、仏像がつくられるようになった。初期の仏像にはギリシャ神話の顔があった。」なんて話を思い出しながらの見学でした。  万葉会のみなさま、本当に良い一日をありがとうございました。(2010,4)

 「あおによし ならのみやこは さくはなの におうがごとく いまさかりなり」