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新見市街の散策・冬の御殿町

今度は「千屋牛すき焼きと新見の魅力再発見」(阪急交通社)という長い名前のツアー、日帰りバス旅行でした。
 先日の伊豆ツアーがよかったので、今度も??と申し込んだのですが、実はあまり・・・・
 ということで、今回は事情でそのひとつ、雪もあって急遽付け加わった「備中新見・御殿町まち歩き」だけの報告になりました。

江戸元禄時代に領主が作った古い町並みがありました

 岡山県の西北端にある新見市街は江戸時代、津山森家と懇意な関家1万8千石の城下町として栄えてきました。
 その中心地は「城山」で、新見藩初代の関長治はその前に陣屋を構え(御殿と称した)その前の地区をいわば城下町として整備したのです。江戸時代の初期、元禄の事でした。あ、「元禄赤穂事件(赤穂浪士)」の頃と言えばよくわかるかもしれませんね。
 その「御殿町」が当時の雰囲気を残して、400年近く経った今まで残されているのです。
 私も新見市の歴史には疎かったものでしたから、今回初めて知り、興味深く「御殿町まち歩き」を楽しませていただきました。

「ラブユー東京」は新見市出身の作曲家でした   

 バスから降りて、まずは「新見御殿町センター」という所に案内されました。
 しかしこの日は土曜日のせいかどうか休館中。散策中他にも開いている町家や建物は殆どなかったようで、残念でした。
 それでも古くからの江戸時代の雰囲気は何とか楽しめ、今回の旅の良い思い出となりました。
 まず見えてきたのは「ラブユー東京」や美川憲一の「さそり座の女」を作曲した中川博之氏の碑でした。
 「七色の虹が消えてしまったの シャボン玉の・・・」若いころよく歌った懐かしい歌です。

火の見燈籠 ?

 何か伝統のある家々が立ち並ぶ中、次に見えてきたのは「火の見燈籠」らしいものでした。
 あれっ、これってよく船着き場で見かけるものかな?しかしここは違うよう??
 と思って調べてみると、かっては高梁川がこの城山の東側を流れていた?ということのようです。あ、それでこの燈籠が。納得です。高梁川は江戸時代高瀬舟の行き来で有名な大河だったのです。

温故館(渡辺屋敷)

 そして次には立派な門構えの屋敷が見えてきました。元新見藩の御用人筆頭の渡辺氏の屋敷だったそうです。
 今は「新見市老人憩いの家」として使われているようでした。


新見八景

 しばらく歩くと「新見八景」という石碑がありました。
 大正の頃流行ったものかな?と見てみると、著名な山田方谷の師である丸川松陰という人が、文化文政の頃定めたものだそうです。文化文政と言えば今から約200年前。そのころから新見を観光地として売り出そうとしていた人がいたことに驚かされました。す、すごい!!

最後は有名になった狭い路地

 そうして最後は小さな路地でした。ここへ着物姿の美女を立たせたカメラマンの作品が評判になったのか??この御殿町でも結構有名なものが小さな路地でした。「三味線横丁」という名前までついて・・・・。

 それにしても今年一番の寒い日で、年寄りにはなかなかに厳しい街歩きとなりました。(2021,12)