岡山市庭瀬と撫川は街道筋と陣屋町でした |
初めは「庭瀬往来」に沿った散策になりました。庭瀬は江戸時代に備前岡山藩が
飛地領の鴨方(今の浅口市)との間の交通の便のために、岡山県南に独自開発した街道で、江戸期の主要道のひとつでした。その庭瀬部分が「庭瀬往来」と呼ばれていたようなのです。 |
今度は「信城寺」というお寺さんです。珍しそうにのぞきこんでいると中へ、それも本堂内に招き入れられました。そういえば今は4月8日。お釈迦様も誕生日、花祭りです。みんな美味しくあま茶とお菓子をいただきました。ご馳走様でした。
道はここから足守川にかかります。その前、街の中に石灯籠と道標があります。道標には「金毘羅」「吉備津」の文字が。あ、もう金毘羅往来にかかったのですね。当然石灯籠には「金毘羅大権現」と。もちろん「金毘羅灯篭」です。 |
前出の庭瀬城址。以前に「備中領主戸川氏のこと」という本を出すのに関わったとき、何度も訪れた懐かしいところです。たしか「城のうち」とかいう小字らしい地名もあったように思い出しました。 あら、ここへも古代ハスが植えられたのですね。 最期にこの地の最初の領主、戸川氏の菩提寺であった「不変院」を通り抜けて、庭瀬駅へ。街道筋と陣屋街、多くの風情を残した庭瀬の街、興味深く、また楽しい一日の歩きでした。(2013,4)
|