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はじめての「発心」・1/2
ーその3 山の中をアップダウンの6時間でしたー

 旅の3日目。12番焼山寺への道中は約12キロ、、細い山道をアップダウンの6時間でした。車で行くと40キロ余りにもなるそうです。早朝6時半、11番藤井寺の横の道を奥へと歩き始めます。長い長い上り坂に、四国88ヶ所のミニ霊場が出迎えてくれます。やっと一人が通れる道を、落ち葉を踏みしめながら進みます。
 「あ、あせびが咲いてる。」さすがに女性は目のつくところが違います。ではと、私は下手な俳句を・・
 『あせび咲く 峠の道を 二人連れ』 同行2人を読み込んだつもりです。
 『発心は 朝焼け雲に 見送られ』 なんだか歌の文句になってきたような??

3ヶ所の休憩ポイント

 午前8時ごろ、最初の休憩所に到着。長戸庵だそうです(写真右)。最初の峠の頂上近くにありました。

 尾根道を歩いたあと、谷へと下っていきます。続いて9時20分ごろに着いたのは柳水庵でした(写真右下)。第11.5番札所と言ってもいいくらいのお寺さんです。今は開いていませんでしたが、最近まではここへ泊まれたのでしょう。トイレや飲み水もありました。

風車さんも

 今日は80歳のベテランさんはさすがに同行されませんでした。もう1人の男性も、登りは苦手らしく、遅れがちで途中でリタイア、タクシー利用に切り替えられたようです。残るは私と女性2人。後からこられる人が何人も追い抜いていかれます。でもがんばって、がんばって。
 子供のおもちゃの風車を何本も持つ人が追い抜いていかれます。「要所にこれを置いておきますから、目印にしてください。」「あ、ありがとうございます。」
 そしてこれが役立ったのです。「あれっ、こんなところに風車が!」と言う声に引き返してみますと、本当のルートはそこから右下へ細い道を入るのでした。うっかりと直進して迷子になるところだったのです。本当に助かりました。感謝。

山中の黄金観音像

 杉林のなかを進んでいきますと、大きな石段が現れました。見ると頂上に大きな杉の木が。一本杉庵だそうです。

 10時25分、ちょうど4時間が経っていました。休憩を取りながらふとみますと、観音堂とあります。覗き込んだところ、これはすごい。大きな金ぴかの観音像だったのです。こんな山の中に、普通のお寺なら立派に本尊になりそうな像がおかれていたのです。
 本当に四国はすごいところですね。

 どうやら最後の登りにかかるまでに、2つの峰を越えてくることになったようです。で、道々「最後の1時間の登り道はそれはきついですよ。」と聞かされつづけてきました。

 でも、無事通過!と思ったところへうしろから男性が追いついてきました。野宿の用意も持つ、たくさんの荷物です。問いに答えていわく「東京から歩いてきました。お伊勢さんや高野山を通って、700キロ歩いてきたんですが、四国は1400キロあると言われました。もういやになりそうです。」とスタスタといかれます。す、すごい人です。67歳とか聞きました。

四国1の難所をやっと

 ようやく真新しい石の灯篭が見えてきました。むこうに観光バスも止まっているようです。やれやれ、やっと12番焼山寺へ着いたのです。5時間50分。「普通より10分早かった。」と3人で喜び合うむこうに見た顔が?。
 途中からタクシー利用のベテランさんが気遣って待っていてくれたのです。やれやれでした。
 ここも山の中の素敵なお寺さんです。何でも龍が住んでいて、火を吐いてみんなを困らせていたのを、弘法大師が封じ込めたため焼山寺(しょうさんじ)という名前が付いたのだそうです。
 もしかしたら昔は焼き畑農業をしていたのかもしれませんね。
 納経印をいただいたあと、宿でこしらえてもらったおにぎりのそれは美味しかったこと。幸せ感いっぱいでした。

 他の2人はそれぞれまだ旅を続けるようでしたが、私はここでとりあえず終了でした。県道を2時間かけて下の国道438号線まで下り、そこから徳島駅行きのバスに乗り込みました。

 もう安心です。夕方は徳島から高松行きの普通電車もいくつかあります。それにしても3日間で12箇所です。次回は徳島県は23番まで。その1/2を回ったことになります。

 さて次はいつごろ、何の交通機関でこようか?なんとなく面白そうで、次につなげたいと思った3日間でありました。そして3日間でほぼ10万歩!我ながらすごい記録ですね。(2007,3)