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大師誕生の寺、善通寺近辺のお寺さんたち
  善通寺は弘法大師が自身の先祖を祀るお寺として建立されたところだそうですね。それで名前も父で建立地を寄贈した善通さんの名をとったとか。
 その善通寺へ至る4カ寺はわりと近いところに位置しています。

石段、また石段の弥谷寺

 四国霊場71番弥谷寺。ここは善通寺市と隣の三豊町の境あたりになります。国道11号線の鳥坂峠から西に入ってしばらく上らなくてはなりません。そして車を置いてからも、石段また石段です。
 やっとたどり着いたと思ったら、本堂へはもう108段でした。ヤレヤレ。四国めぐりで慣れていなければ、音を上げるところでした。な、なんとか・・・。
 それにしてもここはあちこちに5輪の塔や磨崖佛の多いところです。あちこちに修行のためと僧が掘ったのでしょうね。
 あ、途中に「俳句茶屋」がありました。室内には数限りない俳句の短冊がぶら下げられています。すごいものでした。飴湯もなつかしくて美味しかったです。それより商売をされていたお年寄りが「鶴仙人」そっくり。なんとも・・・。つられて写真に収まってしまいました。

72番曼荼羅寺

 「門先屋」という看板が見えてきました。72番曼荼羅寺(まんだらじ)の門前で栄えてきたお店(民宿)なんでしょうね。駐車場は200円を無人の缶に入れるようになっていました。
 弘法大師の生まれた佐伯氏の氏寺だったそうです。大日如来さんがご本尊でした。

大師が「身を投げた」出釈迦寺のこと

 72番からすぐのところにある73番出釈迦寺。裏手に当時7歳の弘法大師が身を投げて、天女に救われたという捨身ケ嶽がありました。頂上ちかくに断崖があり「あそこへ7歳で登っていったとは?」などと、伝説にもかかわらず、ちょい真面目に考えたりしてみました。
 参道がきれいに整備され、景色も良く、なかなか気持ちの良いお寺さんでしたね。

甲山寺は、12神将と・・・?

 74番は甲山寺です。甲山という名前から「12神 味方に持てる 戦には・・・」などとぶっそうなご詠歌になっているようですが、実際は弘法大師が満濃池工事で事故のないようにと薬師如来を祀ったお寺だそうです。最近の四国各寺と同じように、新しい山門が目立ちました。

広大な寺域、75番善通寺のこと

 弘法大師が生まれた所ということであまりにも有名な善通寺です。何と善通寺市と市の名前になっているのは、69番観音寺とここの2箇所のみですね。
 駐車場から入って行くとまずは御影堂です。知らなければ本堂と思ってしまいます。大師はこの奥で誕生されたことになっています。善通寺の名は大師の父の善通さんの名をとっているそうでした。
 奥へ進むと右に塔頭寺院があり広大な境内に驚かされます。約3haもあり、もちろん四国一の広さだそうです。左にはずっと常設の屋台村が続いています。
 やがてむこうに見事な5重の塔が見えてきます。ああ、これが写真でおなじみの・・・、と思っていると、やっと本堂にたどりつきました。本尊は巨大な金色の薬師如来像です。光背に散らされた曼荼羅にいたるまで見事な彫にしばし見入ってしまいました。戦国時代の戦火で焼け落ち、江戸初期の再建時の作だそうです。
 広大な寺域に、ゆっくりとした時をすごさせていただいき、心洗われた善通寺でした。

別格18番海岸寺

 善通寺から一挙に瀬戸内海に出たところにあるのが文字通りの四国別格霊場18番海岸寺でした。本堂の横に美しい庭と新しい堂宇が広がっています。さらに行くと奥の院があるらしいのですが、今日は省略させていただきました。さまざまに特徴的なお寺の多い「別格霊場」のなかでも、海岸に接するのはこの海岸寺のみだったでしょうか?(2010,3)