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岡山から日光東照宮、鬼怒川温泉
弾丸ツアー参加記

 7月10日、梅雨の真っ最中でした。しかも現地で見るのは2カ所。一泊二日という弾丸ツアーに参加したのでした。
 岡山発が9時33分発ののぞみ。最近は新幹線も早くなりました。3時間20分後の12時53分には、もう東京駅着です。
 昔は岡山東京間というと、約4時間半の道程だったのが頭に染みついている私には、世の進歩が感じられる旅の始まりでございましたね。まさに「弾丸」でございました。
 おかげでお昼ごはんは、出がけの倉敷駅のコンビニで買った、パンとおにぎりで済ますことに・・・。ま、わかっていたこととは言え、とても「ゴージャスな旅行」とはいかないようでございました。

「いろは坂」は、何と2本ありました?

 東京駅からは観光バスです。首都高速道路(首都高と言うらしいです?)のラッシュを抜けて、東北道をひたすら北へ。一度のトイレ休憩を済ませていよいよ有名な日光の「いろは坂」です。
 最初は一車線の上り一方通行でした。
 あれっ、昔は対面通行だったような?
 実はわたくし、その昔、高校の修学旅行でここ日光へ来たのをおぼろげながら記憶しているのでした。もちろんその時には新幹線などというものもなかった時代でしたけれどもね。


 帰って調べてみると、いろは坂が有料道路として整備されたのは1954年(昭和29年)だそうです。
 それから10年余。あまりの観光客増での交通渋滞に対応するために、1965年(昭和40年)にもう一本のいろは坂が建設されて、上り下りそれぞれ「第二いろは坂」「第一いろは坂」として分離運営されているとのことでした。
 あーそうなんですね。たまたま若かりし頃の私が来たのが第一いろは坂しか無かった、その間の時期だったのですね。あー、結構貴重な記憶だったのですね?
 で、『日光を見たので結構と・・・』???ちょっと違いますかね??
 このいろは坂、上りの「第二」は二車線で、快適そうでしたが、下りは一車線で結構古そうな坂道でした。たった10年余でこの違い。さすが高度成長にさしかかった当時の日本の歴史を見る思いでした。

華厳の滝は霧の中・音のみでした。

 うねうね続きのいろは坂、それぞれ「いろは48文字」の名前がついていましたが、それは置いておきまして、次の観光地『華厳の滝』到着はなんと17時前。土産物店など、表の商品を中へしまったり、店じまいが始まっていました・・・。
 それよりもがっかりしたのは、ひどい霧で、全く滝が見えなかったことです
。  もう、エレベーターに乗る気力もなく、あーひどい旅行になりました・・・。
 悔しいので、現地にあった写真を載せておきます。(中)

中禅寺湖も霧の中

 そして次は中禅寺湖です。ここも霧の中でしたが、ほとりにある中禅寺・立木観音がこの池の名の由来だとわかりました。  奈良時代創建のこのお寺は、幾多の災害を乗り越えてきたそうです。今は日光山輪王寺の別院。坂東33観音18番札所にもなっています。  


やっと鬼怒川温泉でゆっくりと

 そして再びいろは坂を下り、鬼怒川温泉です。朝からの長時間にぐったり。美味しいはずのお料理も「ん、どうだったかな??状態。  それでも部屋の正面の絶景に気を取り直して、最近趣味に入れた「五行歌」を、作家よろしくひねったり・・・・。お休みなさーい。

急流が広くなり
曇天の空をうつして
緑の谷間
我が人生
今穏やかなり

空は曇れど
この流れ
渓から清へ
今は
空を写して

最後は輪王寺と東照宮

 さて、最終日は日光山輪王寺と東照宮でした。これはまた後日書きます。
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