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岡山から日光東照宮、鬼怒川温泉2
弾丸ツアー参加記2

東照宮は中禅寺湖とは別の場所でした?

 いまさら何を?と言われるかもしれませんが、私はなぜか日光東照宮というと、中禅寺湖のほとりにあって、華厳の滝も近くだとばかり思っていたのです。でも、少し違うんですね。東照宮や輪王寺は、中禅寺湖より東へ12キロばかり離れた位置で、泊まった鬼怒川温泉とのちょうど中間あたりにあったのです。
 まあ、同じ日光市ですし、遠くの岡山から来たのに比べれば、同じ場所と言ってもいいかもしれませんね。でも私にはこれは意外でした。ふ~~ん?です。

元は輪王寺というお寺さんなのですね

 さて、最終日はその日光山輪王寺と東照宮でした。
 ここの本来のお寺さんは「日光山輪王寺」ですよね。東照宮は徳川家康を神(東照権現)として祀ったもので、ずっと後から江戸時代になって建立されたものだそうです。

 この輪王寺のホームページには
 「日光山は天平神護二年(766年)に勝道上人(しょうどうしょうにん)により開山されました。
 以来、平安時代には空海、円仁ら高僧の来山伝説が伝えられ、鎌倉時代には源頼朝公の寄進などが行われ、関東の一大霊場として栄えました。江戸時代になると家康公の東照宮や、三代将軍家光公の大猷院廟が建立され、日光山の大本堂である三仏堂と共にその威容を今に伝えております。」
とありました。

 バスを降りるとすぐに「輪王寺本堂」というべき三仏堂の威容が正面に。
 何だか鬼門除けに効能があるらしく、正面にそのお守りの写真が。えっ、2黒土星の私は今年が「衰運期・変動期」らしいっす??
 やむをえません。直系20cm余りの大きな「鬼門除け」のお札(角(つの)大師(元三(がんざん)大師)護符付き)を買ってしまいました。
湖面標高 1269mという中禅寺湖の東方、日光市の中心部をなすこの輪王寺、どうやら標高は600m余りの所らしかったです。

本尊に馬頭観音が

 「三仏堂(さんぶつどう)」には入らせていただきました。でも、写真撮影は出来ず、ちゃんとしたレポートにはなりません。あしからず・・・。
 で、私が驚いたのは、三体あるご本尊の一つが「馬頭観音」だったことです。他の2つ、千手観音と阿弥陀如来は、あちこちの寺院でお目にかかりますが、馬頭観音を本尊にしているお寺さんは珍しいです。そう思って、金ぴかですがその恐ろしいお顔をじっくりと眺めさせていただきました。
ご覧になりたい方は、輪王寺のHPをどうぞ

さて、いよいよ日光東照宮です。

 でもやはり今回の旅行の最大目的は日光東照宮です。


 輪王寺の横手から進んでいくと正面に見えてきました。正面の鳥居には「東照大権現」と書いてあります。家康が神として現世に下りてきたのです。
 おりから振り出した雨の中を頑張って歩きました。
 おや、左手に立派な五重塔が。
 江戸時代、若狭(現福井県)小浜藩主が寄贈したというこの塔、心柱が浮いているという、現代の免震構造にも通じる貴重な建築技術が使われているとか。すご~い。さすがに江戸期の文化の最高峰の一つですね。

陽明門だけではなかったのです

 進んでいくと、いよいよ東照宮の境内です。まずは、超有名な陽明門です。さすがに中国の君子の姿をかたどった彫刻を含めて、508体という彫刻で覆われているというだけあって、すごいものでした。


 しかし中には陽明門のほかにも、いろんなど派手な建物が並んでいました。
 私は著名な三猿とか眠りネコとかは、すべて陽明門にあるとばかり思っていましたが、これまた違いました。ああ、昔の記憶のなんと不確かな事でしょう?
 名工左甚五郎の作と言われる「眠り猫」は、家康の墓所(奥社)への道を守るものとして、坂下門の前にありました。その裏にはネコが寝ている間は平和だと、戯れる雀2匹を配したもの。なかなか洒落いますね。面白いです。「眠り猫」って、そんな意味があったのですね。
 家康の威光がある限りは世の中平和なのだと。ちょっと家康くんが好きになりました。


 最後に「日光の社寺」という地図を掲げて、このレポートを終わります。(2019,7)

PS:何だか今回は尻切れとんぼになってしまいましたね!キャー!!ごめんなさい

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