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夜のタメル地区(カトマンズ)探訪
ネパール旅行記2

 私の時計では深夜12時近いのだが、現地はまだ21時前。町をちょっと散歩に。
 初日の宿は、カトマンズ中心部の少し西より。旧市街「タメル」地区のほぼ中心にあるシッダルタホテル(下の写真左)。そこからほんの少し南へ歩いたところに、早朝にバザールが開かれる地域がある。ホテル前の通りは、地図で見ると広い通りのように見えるが、やっと小型車がすれ違える程度なのにまず驚いた。岡山では奉還町といったところだろうか。その両側にレンガ造りの4階建ての建物が無秩序に並ぶ。見上げると「空が狭い」といった感じで、両側の建物が迫ってくる。
 「ここに『麦』があったんですよ。」とマサミさん。彼女は10年余り前、インドからこのネパールへ旅し、とうとうこのタメル地区に居ついて、『麦』というゲストハウス(民宿)を営むようになった経歴の持ち主である。間口2間くらいのペンシルビルがそれであった。彼女のパワーの源泉はここにあったのか・・、としばしたたずんでしまう。

 少し行くとちょっとした広場に出る。明朝のバザールと明後日からのティハール祭の準備で、あちこちと人が立ち働いている。それよりも私の目を引いたのは、片方にあるお堂のようなもの。いや、文字通りお堂であった。

 中をのぞくと何やら仏像のようなもの、あ、ここはヒンズー主体であるので神像だろうか。少々怖そうな像である。そして神像も含めてお堂全体がド派手に飾られている。それが日本の寺院とは異質である。多くの彫刻も含めて長年にわたり多くの飾りがつけられてきたのであろうか。
 神像やお堂の一部に触って、自分の体に触る。日本のお寺で線香の煙を自分の体につけようとするのと同じである。「おかげ」をいただこうとしているのだ。
 こうしたお堂が、道路の途中や辻々、広場ごとに無数にある。「ネパールは人の数以上の神様が祀られている。」という。もう少し南へ行ったところにあったアンナプルナ寺院は、周辺にもお堂を配し、広場全体が寺院と化したところであった。ロウソクがいくつも並び、大勢の人たちがお参りしている。

 しかしこうした風景は言葉ではとても日本人には説明できない。いくつかの写真をどうぞ。これが神仏混合ならぬ、ヒンズー・仏混合というネパールの宗教なのだろう。「仏教はヒンズー教から生まれました。だからネパール人にとっては両者は同じなんです。」という。そういえば、日本の大黒天、毘沙門天、吉祥天・・・とか言った「○○天」という仏様は、みんなヒンズー教の神様が仏教に取り入れられたものだと聞いたことがある。
 同行のOK嬢は元気いっぱい。あちこちと写真を取りまくっている。レストラン『麦』の近くに職場を持ち、常連の一人だそうだ。若さもあって今回のツアーではただ一人最後まで元気であった。そのうえメンバーで全盲のOS夫人に対しては、終始大変に細やかな心使いを見せていた。

 カトマンズは「ごみとホコリの街」と言われるそうだ。こうして歩いているとうなずけてしまう。人も多くごみごみとしたところに思える。「戦後の岡ビル的雰囲気」と表現したら「そう、その通り」となんだか受けてしまった。(写真は翌朝に撮りなおしたものも含む。)(2005,10)

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