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『ネパール焼』の街
ネパール旅行記3

 2日目の午前中一行と別れて、I 嬢と二人で東へ。カトマンズから東へ15キロの古都パクタプルとその手前のティミでは、すごく素朴なネパール焼が行われているという。自分でも焼きものをするというI 嬢、娘と同年代だろうか?美人の上にまことにしとやかな所作をする。『麦』でも彼女の作品が使われている。その彼女の今回の大きな目的がこの陶器見学だというのである。
 それにしても案内人の運転は驚異的にうまい。車と車の間をぬい、群がるバイクや自転車、そして渡る人々を交わしながら進むのだ。道も舗装が壊れたところが多く、がたがた道に近い。乗っているこっちも疲れる。と思っているうちにティミの街の一角に着いた。

 ロクロのカルチャーショック

 表通りから路地を少し入ったところ。男たちが数人たむろしている。「ナマステー」「ナマステ」挨拶が無事に済むと、一人が家の中に入るように言う。その人がどうやら陶器職人らしい。中へ入るといきなり粘土をひとつかみバサッと土間に置く。手のひらで長く伸ばしていく。それを折りたたんでまた伸ばす。下に細かい砂を振りまいて、くっつかないようにしながらそれを2~3回。

 パッパッと形を整えると、やおら入り口近くの古タイヤの中心部に据えたのだ。実はボロタイヤが入り口近くにあって、何に使うのかずっと気になってはいた。彼は突然棒を使ってそのタイヤを回し始めた。 回る回る。タイヤと言うより自動車の大きな車輪そのものだったのだ。中央はベアリングであり、快調に回っている。十分に勢いがついたところで、彼は中央部の粘土に手を。タイヤがあるため大股を開かねばならないが、かれはそのかっこうで見る見る壷に仕上げていく。重いタイヤの慣性力がすごいため、素晴らしいロクロの役を果たしている。素晴らしい。時には1度の回転で2つの壷が出来上がるそうだ。
 壷の形が出来上がると取り外して家の外へ。路上において上の少し開いた部分を指でパッツパッツと摘まんでいく。それが見事な飾りに変身するのに時間はかからなかった。
 周囲にはその職人技を見るためか、それとも我々珍客を見るためか、10人を越える人たちが集まってしまった。お礼をして別れを言って帰路に。

『ア・ウン』じゃあない!
 帰る途中、その陶器を売っている店を見つけて見せてもらった。さきほどと同じ壷が並ぶ隣に、大小の仏像が並んでいる。ブッダをはじめとした仏たち、そしてシバ神などのヒンズーの神々。像の顔をしたガネーシャ神が多いと思ったら、商売の神様だそうだ。どうりで人気があるのだ。
 獅子像も多い。昨日のカトマンズ市内のお寺の多くは2匹の獅子像で守られていた。ただ、日本と違って「あ・うん」になっていない。みな「あ」である。この店にある獅子像(狛犬)もすべて「あ」である。「あ・うん」は日本独特のものなのか、それとも中国あたりで始まったものなのだろうか?。「あ・うんの呼吸」などということからは、何となく中国あたりの発祥に思える。
 この店では興味にまかせて1つ1つを見て回ったのだが、この店は珍しく「買え・買え」としつこく誘ってくることはなくほっとした。街中の土産物店ではこうはいかない。

 往復の途中では、ネパール農村を観察する機会が多かった。ここはまだカトマンズ盆地のなかなので、山は低く、どうかすると岡山県の吉備高原の景色とそっくりのところに出会う。今稲の刈り取りの時期だが、ここは近郊農業なのか野菜栽培も目に付く。違うのは農家だ。四角いレンガ造りの4階建ての建物があちこちに点在する。聞けば台所はこの4階すなわち最上階にあるそうだ。火の元は神様に近いところにと、そうするそうだ。
 あとで気づいたが、ここらはネパールでもとびきり裕福な農村らしい。おそらく兼業農家が多いのではないだろうか。(2005,10)

 あっ、「テーラー」だ!!

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