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ポカラへの道・世界の棚田は素晴らしい
ネパール旅行記4

 カトマンズの道は狭い。そこへバスや乗用車、オートバイ、自転車、リキシャ、そして人々が殺到し、思い思いに行きかう。みんな相手を見つめてスルリスルリとうまく交わして行くのだ。救いは道の舗装が壊れている所が多く、スピードが出せないところだ。そうでないと事故続出だろう。もっとも悪路は車の乗り心地をも最悪にするのだが。

峠では軍隊による検問が

 やっと市内を脱出、西へ向かう。今日は中央ネパールの中心都市ポカラへとマイクロバスで移動する。飛行機の便もあったが、地上のほうがよりネパールの実情を見ることができると、結局バスになった。約200キロ、予定より1時間遅れて11時45分の出発であった。
 西へ向かうネパールの主要道。いちおうハイウエーだそうだが大型2台がちゃんとすれ違える。日本の山村を走る3ケタ名の国道を想像すればよい。そう、国道313号などが近い。
 カトマンズ市内でも軍隊の姿が目に付いたが、西の峠で検問があった。いまだに「マオイスト(毛沢東派)」と自称するゲリラが活動する、世界で唯一の国の厳しい風景である。もっとも「由緒正しい??ゲリラは観光客には手を出しません。危険なのはそれに名を借りた山賊のたぐいです。」という説明もあった。「お~~怖っ・・・!」

700曲がり800折れ

 その峠を越えると急坂が続く。そして急カーブが何回も何回も延々と続く。日本で言う「7曲がり8折れ」などではない。さすがヒマラヤ山岳地帯の国である。700曲がり800折れとでも表現すれば読者の皆様に分かっていただけるであろうか?。成羽や北房を走る国道313号線が、いつも急坂で、いつもヘアピンカーブが続くと思っていただいたらよい。周辺の景色も似てい・・・あ、いない。

棚田・棚田・そして棚田

 カトマンズ盆地を離れると、左右に続くのは見渡すばかりの棚田である。左右に見上げる山々の頂上近くまで耕されている。棚田・棚田・・・・これは「日本の棚田100選」など真っ青のすごい棚田の群れだ。日本の棚田好きをここへぜひ一度連れてきたいものである。しかもここの棚田はみんな生きているのである。ちょうど稲が実って刈り取りが始まったばかりのようだ。その棚田のなかに、あるいは群れて、あるいは一軒のみで農家が建っている。カトマンズに近いと3~4階建てだったのだが、次第に1~2階建てのトタン屋根の家に変わっていく。
 マイクロバスがカーブを曲がるたびに、新しい棚田が目に入る。あ、あそこの山は頂上まで耕され、頂上に2~3軒の家がある。

 ここの棚田でもう一つ違うのが、働く女性たちのカラフルなこと。赤や黄色の民族衣装で田に立って刈り入れをしている。  男どもはそれに比べると地味な衣装だ。あれっ、あれは何を・・。「ここはまだ千刃コギもないので、ああやってたたいて脱穀をしているんです。」思わず「うっそー」と叫んでしまう。「千刃コギ」の日本での歴史は知らないが、今では姿どころか知っている人のほうが少ないだろう。ということはここではいまだに日本の江戸時代の米作りが行われているのだろうか?。

 14時20分、やっと道端のレストランに到着。チキンカレー、フライドライス(焼き飯)、ヤキソバ、バルガル(ハンバーガー)などの昼食にありつく。カレーはかなり辛いが美味。米は特別細いインディカ米。思わずレストラン周辺の稲田に撮影に行く。たしかに稲の実は細い。同時にこれらの棚田がみな日本と同じ水田であることを確認する。あの山の上から段々に水田になっているとは・・・。代々続く農業で、このような形に発達してきたのであろう。
それにしても感心するやら驚くやら。ネパール農村の姿である。

パンク修理に立ち寄った店

 レストラン「ハムレット」。食べているうちに逆方向からのバスがまとめて7台も到着。いずれもトレッキングに来ている人たちを運ぶ観光バスのようである。ここから少し行ったところでタンクローリーが横転、大渋滞なのだそうだ。その後我々がさしかかった時には、軍隊が出動して撤去作業を開始、片側1車線だが通れるようになっていた。この日はさらにカトマンズ・ポカラのほぼ中心地点でバスの事故があり、予定は大幅に遅れてしまった。そのうえ乗っていたマイクロバスがパンク。その修理も必要になったのである。  パンク修理に立ち寄った店・・というより民家。国道沿いにトタン屋根のかけ小屋を建て、数棟に10数人が暮らしている様子。設備はコンプレッサーが置いてあるだけの修理屋なのだが、腕は確かなようで、チューブを外して傷を見つけて貼っていく。鮮やかな手並みであった。メンバーが「水牛の肉」を注文して皆に回す。硬いけれども珍しいので美味しいような?。

 今日は事故2件にパンクと3アクシデントで、予定が大幅に遅れて、200キロを8時間もかかってしまった。振動とカーブの多い道である。さすがにみんなグロッキー気味だ。

レイクサイドでダンスディナーとしゃれ込みました

 ポカラは湖のほとりに発達した街。20時ごろに到着したのはその湖に面したホテル「レイクヴューリゾート」である。野外のレストランに舞台が設えてあって、楽隊の前で何やら踊っている。鬼のような面をかぶった姿は何となく荒神神楽のスサノオを連想させる。踊りはやがて華やかな衣装をまとった女性たちに代わる。
 料理はハルマキ、ピザ、酢豚風鶏料理、ケッチャップ主体のカレー風と無国籍。どれも美味だが一日の想像以上の疲れが食欲を削ぐ。
 舞台は客を入れての激しい踊りの最中。一行のOY夫人が飛び入り。しなやかな見事な身のこなしで、対の踊り子に負けていない。「明日からでもここで踊れる」という声が飛んだ。このOY夫人、一見ひ弱そうだがどうしてどうして身軽にヒョイヒョイと歩く。
 この庭を囲むように建ったホテルの部屋は広く、昨晩に比べて快適であった。でもうがいから歯磨きまでミネラルウオーターでという注意はちょっとつらいものがある。(2005,10)

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