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2740mの高地に、日本のNPOの農場が
ネパール旅行記5

 旅の3日目。カトマンズ西方200キロにあるポカラから私たちは空路ヒマラヤ山脈を越えてジョムソンというところへ入った。ここはもうムスタンになり、アンダームスタンとしてムスタン王国への玄関口である。ここではMDSAという日本のNPOが農場を経営し、ムスタン全域へ野菜、果物、鶏肉、玉子、牛乳、魚などを供給しているというところである。実はレストラン『麦』はMDSAの岡山支部を兼ねていて、今回の旅行の目的の一つは、この農場見学と、MDSA主催者の「近藤のじさま」に会うことだったのである。この項、少々長くなることをお許し願いたい。

荒涼たる荒地、荒地

 曲芸飛行のように着陸したジョムソン空港前の広い道路。両側にはずらりとホテルやゲストハウス、商店などが並ぶ。そう、ここはムスタン地域(ムスタン王国・18,000人)の玄関口であると同時に、中央ヒマラヤのアンナプルナ連峰周辺をトレッキング(山歩き)する主要な基地ででもあるのだ。
 宿に荷物を置いた私たちは、ミニトレッキングで農場見学に出かける。標高2743m、11月1日の今日ともなるとさすがに寒い。みんな重ね着をしてそれでも冷たい風がビュービュー。「今日は風が弱い日ですよ」マサミさんの一声にみんな唖然。農場は荒涼たる山道を南へおよそ1時間歩いたところにある。左右に雪をいただいた山峰が目を慰めてくれる。地図から言うと遠くに見えるあれはダウラギリだろうか?。
 ムスタンから氷河の雪解け水を集めて流れるカリ・ガンダキ川。かなりの急流だ。それより前方のあの切り立った崖。あきらかに以前の氷河が削った跡だ。こんなところに農場を作ったのだ。いや、こんな所だからこそ作ったのかもしれない。

そこに広大なりんご園が

 そのカリ・ガンダキ川を東へ渡る。一本橋をこわごわと全員何とか渡りきった。崖の上にあるシャンの村を見上げながら進むと、前方に見えていた唯一の緑地帯、そこがMDSAの農場だった。入り口に宿泊施設もあるようで、日本からの若い男女が泊り込んで奉仕活動に取り組んでいた。その横がりんご園。みごとなりんごの木が続き「食い散らかしていいですよ。」の声に、空腹だった私たちは後先考えずにりんごにかぶりついていた。真っ赤なりんご、少し黒いりんご、黄色いりんご、みな無農薬で有機肥料だ。美味しいこと美味しいこと。
 ちょうど小さな馬の群れが、荷物を積んで農場の横を通っていった。聞けばここのりんごを南のポカラまで4~5日かけて運んでいくそうだ。
 りんごの木の間には、もう収穫の終わったブドウの木が並んでいる。木の下や隣の畑には大根、人参、ほうれんそうなどが植えられている。日本の畑に比べると、相当に貧弱なのだが、それでも手入れをあまりしない我が家の畑程度には育っている。2700mの高地、素晴らしい。

 広大なりんご園の隣では、牛舎、鶏舎があり、世話をするネパール青年家族が住み着いていた。「これを見てくれ」とばかりに案内する青年の顔は輝いている。彼の工夫と努力で玉子を温め、多くの雛鳥が生まれたばかりだという。すごい!。

植林も成功させて

 夕方になりかかったが、どうしてももう1つのプロジェクト養魚場を見ようと次へとたどる。全盲のOS夫人はさすがにここから馬で引き返す。
 前方に何か花が。今はもう枯れかけたがコスモス畑だ。いやまだ少し花が残っている。世界一高いところのコスモス畑として、見学者があちこちからあるそうだ。もう少し進むと高山植物がかすかに残る荒地が続く。「あの農場も、元はこんな所だったそうです。それを近藤先生たちが石を取り除いてあんな農場にしたんです。」マサミさんの声にみんなから感嘆の声やらため息が上がる。す、すごい。
 そして両側に見えてきたのは、数十cmから1mくらいに育った杉などの木々。松もある。あきらかに植林だ。「ここは以前にアメリカの奉仕団体が植林に失敗して引き上げたあと、私たちが植林して今こうして成功させています。ジョムソンの周りにある植林はみんなMDSAがしたものです。」そういえば村のむこうの斜面に延々と緑が続いている。あとでの近藤のじさまの説明では「私たちは2週に一辺、木にたっぷり水をやりましたし、堆肥をどっさり入れたんです。」なるほどなるほど。す、スゴイ。そういうていねいな仕事は日本人しかしないのかもしれない。それを今現地の人たちが受け継いで続いているんだ。

ニジマス、鯉、そして米の水田も

 やっと養魚場に着く。おお、けっこう大きな養魚池だ。この池から流れ出る排水がさっきの植林地帯へ続いている様子。おおきな池には鯉がいるそうで、「こっちはニジマスです。これは私が新潟県に行って研修受けて持って帰ったんです。」世話役のネパール青年が説明する。エサヘ飛びつく姿を見ると、10数cmもあるだろうか。幼魚が躍動する姿に感心しながら向こうを見ると、何やら囲いのようなものがある。

 行ってみると傍らにあるのは明らかに稲束。干してある。ポリエチレンの囲いの中をのぞいてみると水田だ。刈り取りの終わった稲株が、日本の水田と全く同じに並んでいる。2700mの高地の水田。囲いの中とはいえ、これは私にとってこの旅一番の感激であった。
 「そんなに苦労して稲なんか作らないで買ったら」という意見も当然あるだろう。私も当初そう思った。しかし近藤のじさまは、そういう高地でも人の生活がある限り、食料自給の努力をして食生活を改善しなくてはと、いろんな努力や実験を繰り返しているいるのだそうだ。
 高地の人々を援助するだけでなく、自活の道を探求している・・・。まだ見ぬ「近藤のじさま」との会話に、私の期待はますます高まっていく。
 夕暮れ迫る農場からの帰路、道に迷って危うく遭難しかけたのも、今となっては良き思い出として、次回はいよいよ「近藤のじさま」「じじい」との会見である。(2005,11)

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