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ジョムソン(アンダームスタン)のこと
ネパール旅行記7

 3日目はいよいよポカラから北へ、ヒマラヤを越えてムスタン(王国)の玄関口ジョムソンへのフライトである。5項6項のMDSA関連を除いた部分を報告したい。

曲芸飛行のジョムスン入り

 「霧が濃いのでしばらくお待ちください。」久しぶりにコケコッコーの声に目を覚まされたのは、ポカラの中心部、池のほとりのホテル「レイクヴューリゾート」。6時から朝食をしてスタンバッていたのだが、来たのは無情の便り。このルートはしばしば飛ばないこともあるそうだ。だめなら遊覧飛行でもという声も聞こえてくる。
 ボーっと道を通る牛君や池のほとりのシバ神などを眺めているうちに、空港へ移動。また待たされる。ここでは時間がゆっくり流れているんだ・・・と自分に言い聞かせる。ポカラ空港では2組もジョムソンから帰ったトレッキングツアーの日本人団体に出会う。いずれもムスタン(アッパームスタン)の手前まで行って帰ってきたとか。アッパームスタンへ入るには、1日につき70ドル(観光税?)が必要だそうだ。それにしてもこうしてゆっくりすると、ネパール人女性の美人が多いこと。言葉が通じないのも忘れて、思わず話しかけてしまう。
 11時過ぎ、ようやくフライト。18人乗りでほとんど我々のチャーター便となる。コックピットは見えたまま。

 空から見るとポカラ周辺は見渡す限りの棚田、棚田・・・。ここでも日本の棚田ファンを連れてきたい光景に出会う。正面に白銀の山々が現れたと思ったら、足下は緑の無い土色の大地。ところどころに川筋があり、家があり、段々畑がある。こんな高山まで・・・なのだ。と思っていると「今日は風が強いので、反対側から着陸します。」とのマサミさんの声。飛行機はジョムソン空港上空を通過、谷沿いをUターンする。45度に機体を傾かせ轟音をとどろかせて、翼を山に接せんばかりのすごい飛行。ワーキャーといっているうちに滑走路に進入して、ドンドンドンと停止。思わず拍手が上がる。パイロットが振り返って「どうだ、やったぞ」といわんばかりの得意顔を見せている。何回もここへ飛んだはずのマサミさんも「すごーい。こんなの初めて。」と大感激の様子。「ここのパイロットの腕は世界一です。」と事前にあった説明がよくわかる。
 ジョムソンは標高2743m。やはり空気は薄いようで、急いで動くと呼吸がつらい。北方のムスタン王国(アッパームスタン)への入り口であるとともに、トレッキングの基地で、ホテルやゲストハウスがのきを連ねている。

ダウラギリのふもとにて

 我々が入った宿は、空港から少し歩いた所にあるトレックホテル。名の通り山歩きを対象としたホテルで、シャワーはあるがバスタブは無い。暖房も無いようで、精一杯着込んで毛布にもぐりこむ。
 朝6時ごろ明るくなる。日本とほぼ同じ時刻だ。時差3時間15分と刻んであるのが正確なのだろう。外へ出ると朝の切り裂くような空気の左右に、バーンと雪をいただいたヒマラヤが見える。左はニルギリ(7061)、右の向こう側はダウラギリ(8167)だそうだ。ダウラギリはたしか日本の登山隊が登った山で親しみがある。

 そのまま街をムスタン方面に歩いた。トレッカー向けのホテル、ゲストハウス、雑貨屋が並んでいる。学校、病院もありけっこう大きな町だ。学校の前で警備にあたっていた軍隊にカメラを向けたら「ソーリー・・・」と英語でていねいに断られた。軍隊のほかは撮影OKのようである。早朝なのに人々はもう動き出している。農作物を背中いっぱいに背負った人などに出会う。つり橋を渡った川の向こうには村があり、村役場らしいものもあった。その後方に見える緑はMDSAの植林である。
 街を抜けたところまで歩くが、いつもの早朝散歩と同じペースだったせいか、酸欠状態に陥いる。ここからはダウラギリが良く見えるのだがしんどい。帰路は倍の時間をかける。
 ホテルでの朝食。相変わらずパンと玉子2個のみなのだが、なぜか紅茶がとびきり美味しい。みんなお替りをしている。
 この日は天候がよく、早朝から飛行機が飛んでいる。白馬に乗った近藤のじさまの見送りも受けて無事に離陸。シャングリラ航空の小型機は今日は何事も無いようにヒマラヤをひとっ飛びして、たちまちポカラの街へ。
 しかし非常に印象深いムスタンでの一日ではあった。いつの日か、アッパームスタンの首都ローマンタン、その下20キロのところにあるガミへも行ってみたいものだ。ガミへはMDSAの広大な農場があるそうである。(2005,11)

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