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姉が弟たちを祝福(ネパールのお祭りを田舎で)
ネパール旅行記9

 「バイティカ」というそうだ。ネパールの秋祭りの4日目なのか、5日目なのか?。一家で姉が弟たちを祝福するという風習があるそうなのだ。ゴダール氏のお姉さんが嫁入りしている先にみんなで訪ねていって、そこのお祭りに参加するというのが、この日のテーマであった。

 日本山妙法寺寺院のところでツアーのみんなと合流、さらにメインハイウエー?を西へ。ここらあたりは「700曲がり800折れ」なのだが、さすがに田舎なのか?道の舗装の痛みは少なくなって来て快調なドライブが続く。しばらくして、道べりの商店と思しきところへ到着。ここかと思いきや、そこからまだまだ。家の間の狭い石段を降りて、延々と谷の段々畑のあぜ道を経由。谷川をつり橋で渡り次の村へ。おや、ここの田んぼは「粟」が植わっている・・・と思ったところが目的地。

 そして、そこへは一族の人たち10数人が集合、私たちと合わせて40人近い大人数に。ゴダール氏のお姉さんの家は、昔に日本によくあった田舎の2階建て一軒家。違うのはレンガ造りということだ。細い柱や窓枠は緑色に塗られ、2階の軒下には今日の祭りを待ちかねた色電球がずらり。
 私たちは大歓迎に包まれ、椅子に座って待つことしばし。当主の兄上ニコラス氏は只今英語を習得中らしく、いろいろとツアーメンバーに話しかけては次へ。私など「あまり英語は上手でない」と思われたらしく、次のOK嬢との丁々ハッシのやり取りへと移られる。もっともこの「ニコラス」氏、あとで聞くとじつはマサミさんがつけた呼び名?だったそうである。
 お姉さんは、家族のみんなにお化粧を施したあと、我々客人にも化粧をしてくれた。額に白で短冊を書き、その中に7色の星を散らす。帽子をかむせ、花のレイをかける。日本にいても素敵な化粧です。最後に姉の足に口付けしてお礼を。

 ここで料理がみんなの前に運ばれてくる。広い葉っぱ(ネワラの葉)を竹串で止めたお皿が配られ、料理が盛られる。丸く輪にしたドーナツに、炒めた米、豆料理に小松菜、ヤギ肉料理などが盛られていく。これがここでのティハールの料理のようだ。ポカラの南西18キロのトゥラディヒ村でのことである。いろいろお替りのあと、チキンカレーが出てきて終わり。もちろんビールもジョニ赤も・・。帰りにあの田んぼが渡れるか、ちょっと心配ではあった。
 このニコラス氏、写真を見せてもらったが、中華水泳界で記録を持つなどの剛の者だそうだ。筋肉隆々の写真には一行の女性たちが歓声を上げていた。

 あとはみんなで踊りが続く。今日はOY夫人だけでなく、私も参加。無理して手を滑らかに動かしたりして踊る。やっとニコラス氏にも気に入られたようで、いっしょに踊ったり。ときに阿波踊りまで交えて、楽しいひと時が過ぎていった。「ほんとに沖縄風だわ?」というのはS夫人。たしかに手をシナシナと踊ったり、音楽のテンポなどたしかに沖縄に似ているようにも思う。

 ポカラへの帰途、幾度も止められる。町々の角を青年団のような人たちが警備していて?通る人や車にカンパを強要?しているようだ。ゴダール氏たちは慣れているのか、この軽い脅迫の群れを軽く突破。ポカラの宿(フルバリ・リゾート)に無事到着。怒涛のようにベッドに入った一同ではあった。翌日のアクシデントを知らないのがせめてもの幸せではあったのだが。(2005,11)

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