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「バイティカ」というそうだ。ネパールの秋祭りの4日目なのか、5日目なのか?。一家で姉が弟たちを祝福するという風習があるそうなのだ。ゴダール氏のお姉さんが嫁入りしている先にみんなで訪ねていって、そこのお祭りに参加するというのが、この日のテーマであった。 日本山妙法寺寺院のところでツアーのみんなと合流、さらにメインハイウエー?を西へ。ここらあたりは「700曲がり800折れ」なのだが、さすがに田舎なのか?道の舗装の痛みは少なくなって来て快調なドライブが続く。しばらくして、道べりの商店と思しきところへ到着。ここかと思いきや、そこからまだまだ。家の間の狭い石段を降りて、延々と谷の段々畑のあぜ道を経由。谷川をつり橋で渡り次の村へ。おや、ここの田んぼは「粟」が植わっている・・・と思ったところが目的地。
あとはみんなで踊りが続く。今日はOY夫人だけでなく、私も参加。無理して手を滑らかに動かしたりして踊る。やっとニコラス氏にも気に入られたようで、いっしょに踊ったり。ときに阿波踊りまで交えて、楽しいひと時が過ぎていった。「ほんとに沖縄風だわ?」というのはS夫人。たしかに手をシナシナと踊ったり、音楽のテンポなどたしかに沖縄に似ているようにも思う。
ポカラへの帰途、幾度も止められる。町々の角を青年団のような人たちが警備していて?通る人や車にカンパを強要?しているようだ。ゴダール氏たちは慣れているのか、この軽い脅迫の群れを軽く突破。ポカラの宿(フルバリ・リゾート)に無事到着。怒涛のようにベッドに入った一同ではあった。翌日のアクシデントを知らないのがせめてもの幸せではあったのだが。(2005,11)
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