|
晴れ渡った一日、午後のみが空きました。ではと、瀬戸大橋線から予讃線に乗り換えて観音寺市へとでかけたのです。JR観音寺駅から町の中を徒歩25分。財田川を渡って観音寺さんへ着きました。四国霊場68番神恵院、69番観音寺と、四国で唯一同じ場所へ2ケ寺があるところです。
68番神恵院(じんねいん)というのは通称八幡宮というそうで、元は隣にある琴弾八幡宮と一帯であったそうです。西暦700年代に山頂に琴弾八幡宮が祭られたあと、八幡の本地仏である阿弥陀如来の像もまつられ、68番神恵院として信仰を集めてきました。ところが明治の廃仏毀釈で両者は無理やり分離され、神恵院は阿弥陀仏とともに下の観音院境内に下ろされてしまったものです。大師堂奥に、真新しい本堂がありました。
さて、観音寺市と、市の名前にもなっている69番観音寺さんです。本堂、大師堂、薬師堂、愛染堂などがならんで、遍路客も後を絶ちません。 しかしここで有名なのは裏山にある琴弾公園の銭型でしょう。山の上からみえる大きな砂の寛永通宝は他にないだけに、一見の価値はあります。
観音寺から70番本山寺までの道中は、ほとんどが財田川の土手を東へ歩きました。5キロちょっと、1時間15分あまりです。「この財田川の上流で、冤罪事件で有名な財田川事件があったんだなー。」以前にその事件のニュースや運動に少しかかわったことを思い出しながら歩きました。途中「かなくま餅」というところでさぬきうどんを食べて歩を進めます。熟年集団?と出会い、一緒に歩いたのもこの土手でした。
はるかむこうの林の中に塔の上部が見えてきました。「ああ、いい姿だなー。もしかしたらあそこが70番本山寺なのかな?」などと思いながら進んでいくとそうでした。
|
本堂の左にある五重の塔、上のほうまで大きく、すごくいい姿をしています。装飾は少なく、簡素といってよいでしょう。「これほどの塔ならさぞかし名のある・・」と解説版なども探しましたがありません。不思議に思って聞いてみますと「明治43年に建てたもので、高さは35mあります。」とのことです。明治末のものなら、西洋の建築技法もあわさって建てられたものかもしれないなーと考えてしまいました。地元の人が「下に心柱が見えないでしょう?」と言われますので、横から覗きましたが、どうもそのようです。心柱は2階以上から始まっているんでしょうか?。 ついでに言えば四国88ヶ所で五重の塔があるのはここを含めて4ヶ所だけだそうです。意外に少ない?台風が多いせいなのでしょうか? ここは珍しい馬頭観音が本尊になっているほか、本堂が古く国宝になっていました。 あとは田んぼの中を20分あまり歩いてJR本山駅です。手打ちうどん屋さんのある無人駅を、すごい勢いで特急が通過していきました。 今日は讃岐最西部、予讃線沿いの3寺のレポートでした。今日の万歩計、朝の散歩を入れて、25,000歩です。(2007,4)
|