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土佐の関所から、古き都へ
ー四国霊場27番~30番ー

 四国88ヶ所土佐の2日目は、27番神峯寺からです。「こうのみね」という名前は、かって何かで印象に残っている名前です。それがこの四国27番とは知りませんでした。下から曲がりくねった急坂の道が続きます。海抜450mの山頂だそうです。これを歩きで上がったらと思うとぞっとします。というのは、一時はこの近くに車を置いて、室戸までバスで行き、ここまで歩こうかと考えていたからです。
 思い直して良かったです。土佐の関所だそうですが、なるほど、さすがでした。
 しかし、このお寺さん、明治の廃仏毀釈で一時廃寺となり、その後復活したとか。ひどいものです。尚、本尊は観音様でした。

龍河洞近くのお寺さん

 四国88ヶ所、土佐は「修行の道場」だそうです。1つ1つの間が離れていて大変、という意味も含まれているとか。未熟者の私など、ついつい車で回ろうという気になるのも、お許しくださいませ。で、27番から約40キロの28番大日寺は、有名な鍾乳洞、龍河洞の近くでした。
 このお寺さんも、明治の初めに一時廃寺となり、明治17年に再興されたとありました。四国88ヶ所も受難の歴史があったのですね。

ここで、2つの観音霊場

 ここで、「四国ボケ封じ33観音」10番高照寺と12番大徳寺へ寄り道です。
高照寺(写真左)は、龍河洞からずっと北へ行って、「アンパンマンミュージアム」の近く、また大徳寺(同右)は高知市内のすぐ東、南国市の街中にありました。

「ごめん」の近くの国分寺

 四国霊場29番さんは国分寺です。8世紀、国分寺を各地に建てた聖武天皇のころにはこのあたりが土佐の中心地だったのでしょうね。現にここのすぐ南方にかっての国府跡があるそうです。
 本堂は茅葺で、なかなかの趣でした。
 それより私に印象が深かったのは、「ごめん(後免)駅」から少し北へ入ったところにあったことでした。遠く50年前、学校の教科書に「稲の2期作が行われているところは後免と」という記述があって、今でも脳裏の片隅に刻み付けられているところだからです。う~ん、ここらあたりがそうだったのですね。この2期作関連については、あとで珍しいものをみましたので、翌日のレポートをお楽しみに・・。
 近くには岡豊城という、戦国の雄長曽我部元親が活躍したお城跡があり、そこの高知県歴史民俗資料館を見学しましたが、なかなか興味深い展示でした。

土佐一の宮、土佐神社の元別当寺

 30番は善楽寺です。土佐一の宮、土佐神社がすぐ隣にあり、元の別当寺だそうです。廃仏毀釈の影響で明治大正と廃寺が続き、昭和4年にやっと復興したそうです。当時は四国88ヶ所巡りも、いくつか無い札所があって、迷ったことでしょうね?新築された本堂は立派でした。
 29番の国分寺からこのあたりまで、今の高知平野の北側の山裾が、かっての土佐の中心地、古き都だったようなのです。

 この日は、国道33号線沿い、道の駅南国で一夜を過ごしました。広い駐車場に、前夜と違い、10台ばかりの同宿車がいました。(2007,10)

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