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古代阿波文化の中心地を歩く
ー四国霊場13~17番ー

 やっと確保できた連休中の2日間です。何って、もちろん四国遍路に出かけたのであります。今度は青春切符がないので、車で徳島県までやってきました。早朝の旧灘崎町はすごい霧でしたが、幸い瀬戸内海は無事で、国道フェリーで渡ることができました。往復5,480円とは、瀬戸大橋の半額でしょうか?助かります。

13番大日寺は明治廃仏の影響強く・・・

 前回の次の13番大日寺。着いたのは午前10時半でした。このお寺さん、吉野川の支流の鯉喰川のほとりにありました。そういえば「大日寺」というのは4番についで2つ目です。どうやら28番さんとともに、この四国88ヶ所には「大日寺」が3つあるようです。弘法大師さんに大日如来がよく出現されたのでしょうかね?ところがこの大日寺の本尊はなぜか11面観世音菩薩なのです。なぜなんでしょう?
 道路を隔てた向かいには「阿波一ノ宮神社」があります。以前は大日寺はこのお宮さんの別当寺としてお宮の管理もしてきたのです。ところが明治の廃仏毀釈のおり、阿波一ノ宮神社の本尊(本地仏)であった11面観世音菩薩像が(追い出され)この大日寺に移されてこちらの本尊となり、大日如来像は脇仏とされたとのことです。ここでも廃仏毀釈の犠牲に触れてしまいました。
 おっと、この大日寺、「四国13番」とともに、「四国ボケぼうし33観音・ 番」を兼ねていて、一度に2つの御朱印をいただいてしまいました。もっとも観音のほうはめったに訪れる人がいないらしく、印を引き出しの中から探し出しておられましたけれども。
 ということで、今日はここへ車を置かせてもらって、17番まで歩くことにいたしました。

大日寺本堂阿波一ノ宮神社

谷川の水を農業用水に

 歩き遍路道は最初田んぼの中を通ります。ちょうど田んぼに水を入れて、田植えの準備の真っ最中でした。ところがここらあたりの田んぼには、隅に直径1mくらいの土管が埋まっていて、そのなかに給水弁があり、それを緩めると水が噴出すようになっているのです。用水がないのです。不思議でした。近所の人に聞くと「20年程前の農地改良事業で、谷川の水をポンプアップして、道の下に管を通し、各田んぼに水を配るようになったんです。ちょうど私が土木委員のときでした。50町歩はあります」とのこと。すごい苦労をして農業をしておられるようでした。

14番常楽寺

 鯉喰川の橋を渡り、しばらく集落の中をたどり、先行するかたがたの姿が見えなくなったころ、山裾の14番常楽寺へと出ます。ちょっとわかりにくい道なのですが、小さな道しるべのおかげでたどりつきました。この四国の道はいろんな道しるべが豊富にあり助かります。大日寺から2キロあまり、約30分の行程でした。今日は連休中のためか、自家用車で回っている人が多く、バスでの団体さんはまったく出会いませんでした。観光ツアーも連休中は他のお客のために配慮しているのでしょうか?
 着いてすぐ鐘をつかせていただきましたが、すんだ音色が長く響き、聞きながら思わず手をあわせてしまいました。本堂の前に大きな木があることと、波打ったような石が続いていることが印象的でした。

阿波の国分寺が15番さんです

 14番から15番までは15分くらいです。着いてとたんに「あ、唐風だー」本堂は写真のように中国風を思い起こさせる少し変わったデザインでした。「国分寺跡」とありましたが、後世になってこのお寺も再建されたのでしょう。大きな塔の礎石が残っていました。1250年前の創建当時は七重の塔があったということで、「塔ノ本」「東門」「西門」「坊」などの地名が周辺に残っているそうです。当時は大きなお寺だったようです。
 で、納経は・・と探すと、どうやら隣の民家とおぼしきところで受けておられる様子。う~ん、お寺さんも名前だけではやっていけない時代が来てしまったのでしょうか?

「府中」と書いて『こう』と読みます

 さらに山裾を30分ほど北上して街に近づきます。16番は観音寺。さっき自家用車族が多いと書きましたが、どうしてどうして歩き遍路の方も少なくはありません。若い娘さんも見かけます。
 新築の本堂が出迎えてくれました。よく見るとあちこちに古い木も使ってあるようです。本尊は千手観音のようでした。
 ここの本堂の隣には「阿波国総社宮」が祭ってあります。

 今歩いているあたりは、古代に阿波国府があったあたりで現実に「国府町」でした。途中美味しいうどんをいただいたあと、「府中」というところに出ました。国府の中というまことにわかりやすい地名です。でもこれ、どういうわけか『こう』と読むようです。JRの駅名も「こう」となっていました。

 なんとなく備前の国府一帯と似ているように思いました

 16番から昼を経て1時間余り、17番井戸寺です。大きなお寺さんです。弘法大師が井戸を掘り、かってはこのあたり一帯を井戸村と言ったようです。
 聖徳太子作という大きな金ぴかの薬師如来像が本尊ん正面に見えています。でもちゃんと見張りの方もおられ、写真は断られました。

 ここから13番の大日寺まで車を取りに1時間45分かけて引き返したのですが、あたりには水田がひろがっており、田植えの真っ最中でした。古代の阿波の中心地ということでしたが、南に鯉喰川、西に小高い山波、そして祇園用水(岡山市)に似た縦横に走る用水路。なんとなく備前の国府のあった岡山市の旭川東岸、国府市場あたりを思い起こさせられました。そういえば、14番の近くには鯉喰川からの取水口(写真下右)がありましたね。最初に触れたポンプアップして田に水を配っている、13番がある鯉喰川南岸の一帯とは好対照でした。(2007,5)

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