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高知西部・修行の道場を車で
ー四国霊場36番~39番ー

 国民宿舎土佐、山の上のいい宿でした。そのうえそのすぐ下には、36番青龍寺があるのです。しかしここからが大変なのです。次の札所へ行くまでが、60キロ、100キロ、67キロ、そして愛媛県の40番までが30キロとあるのです。歩いたら1日何キロいけるでしょうか?私など昨日の48,000歩(約28キロ?)でいささかグロッキー気味です。さすが、「修行の道場」。あきらめて車で回ることにしたのですが、それでもなかなか大変でした。

不動明王を本尊にするお寺さん・36番

 弘法大師が唐で修行したお寺の名前を持ち、帰路の航海で助けられた波切不動明王を本尊にするというお寺さん。36番青龍寺は国民宿舎土佐から山を下りたところにあります。
 「不動明王を本尊にするのは珍しいのではないですか?」と聞いてみると「次の岩本寺や愛媛の岩屋寺さんなどあります」との答え。

 ここは、高知の観光スポットの一つ、横浪半島の先端でもあります。北からは宇佐大橋を渡って入るのですが、西へは横浪黒潮ラインをたどります。景色を期待したのですが、途中はほとんど木々にさえぎられて、期待はずれでした。

須崎の別格霊場

 四国には88ヶ所のほかに、「四国別格20霊場」というのがあり、両方で108箇所になっています。そして、今回の私はその「四国別格20霊場」とともに、「四国ボケ封じ33観音霊場」も合わせてまわっているのです。
 最初の箸蔵寺から、別格は大きなお寺さんなのだ・・という印象を持っていたのですが、ここ須崎市の街中にあった別格5番大善寺は、小さなお寺さんでした。そして石段を上がっていく途中に祀ってあったのが、ボケ封じ観音像です。箸蔵寺もそうですが、なぜか別格霊場は、観音霊場もかねているところが多いのでしょうか?
 このお寺さん、やはり明治の廃仏毀釈で廃寺となっていたものを、明治29年(1896)大師の霊跡を惜しむ里人の手で現在地に移転復興したものということです。

窪川の岩本寺・37番

 須崎から30キロあまり南にあるのが窪川という町です。高知県南部の山の中の町。現在は窪川町でなく、四万十町となっているそうです。37番岩本寺はその町の奥まったところにありました。不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩の5体が本尊と、「欲張った?」お寺さんなのかもしれません?。あ、もともと5ヶ寺だったのですか?
 ここも、明治の廃仏毀釈で廃寺の時代があったようです。そうすると、明治初めには四国88を回る事はできなかったのでしょうか?ちょっとした疑問です。

足摺岬のお寺さん・38番

 岩本寺からほぼ100キロ。遠かったです。でもその間に国道を歩いているお遍路さんを何人か見かけました。3日かけるのでしょうね。すごいです。
 車の我は最後の13キロを足摺スカイラインを通るのですが、この日は濃霧で視界が30mくらいでしょうか。急カーブの連続を文字通り無我霧中(無我夢中?)で運転し、「修行」になりました。
 足摺岬の絶景の展望台のすぐ後ろにあるのが、38番金剛福寺です。おや、今も歩いて到着したらしい人が二人。この雨の中をすごいです。

 ここは観音様が本尊で、かたわらに石仏33観音もおまつりしてありました。

 足摺岬、およそ20年ばかり前でしょうか?家族旅行で来て以来ですね。当時の記憶はおぼろですが、やはり「四国の南端に立ったのだ」という感慨は同じものがありますね。

土佐最後のお寺は、宿毛に・39番

 足摺岬から引き返して、西岸を北へ。宿毛に至ります。想像以上に大きな町で、四国の西岸は、足摺から宇和島まで、あまり何もないと思っていた私には驚きでした。ラジオの天気予報も「宿毛地方は・・・」と放送していて、高知県の広さを感じてしまいました。ここまでのこの日の走行距離は約240キロです。
 宿毛から東の中村方面に約6キロ。39番延光寺は北の山すそにありました。医王山といいますから薬師如来でしょう。自然条件の厳しい四国霊場には薬師如来が多いですね。

   この日はさらに県境を越えていくのですが、その記事は次回に。(2007,10)

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