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南伊予4寺と宇和島のお寺さんたち
ー四国霊場40番~43番ー

 宿毛から西へ。ここらあたりは有名なリアス式海岸が続くところで、宿毛もそうですが、良港の多いところですね。
 県境を越えると「愛南町」というところに入ります。愛媛県の南ということで名づけられたのでしょうが、外から来てもどうもなじめない名前ですね。昔の名前はなんと言うのでしょうか?
 あ、中心部は御荘(みしょう)というのですか。こっちのほうがよっぽど歴史を感じてアイデンテティーがあるのではないでしょうか?なんて勝手なことを考えながらの運転でした。御荘はリアス式の長く入った湾の最深部でした。

平安初期の荘園にあるお寺さん・40番

 その御荘の平城(ひらじょう)という中心部にあったのが、四国40番観自在寺でした。桓武天皇の次の平城(へいじょう)天皇の勅願所として建てられたそうです。
 1200年前、平安初期からこのような四国の奥地?に、青蓮院(京都の青蓮院門跡)の荘園が開かれていたのですね。御荘という名の由来になっているようでした。かっては大きなお寺さんだったようです。
 興味を引いたのは「観自在寺」なのに薬師如来が本尊だということです。やはり四国は薬師如来なのでしょうか?

 このあとは宇和島北方、三間町にある「道の駅みま」まで足を延ばしました。南伊予の穀倉地帯だそうです。田園が広がる中の、新しい広い道の駅でした。

穀倉三間平野のお稲荷さん・41番

 四国41番龍光寺は、道の駅みまの近くにある、小さなお寺さんでした。でも庶民的でいい雰囲気です。境内に稲荷神社があると思ったら「穀倉三間平野のお稲荷さん」として昔から親しまれてきたそうです。稲荷の「本地仏」である十一面観世音が本尊だそうです。

余韻が続いて・・・・心洗われる名鐘・42番

 四国42番仏木寺(ぶつもくじ)は、41番の少し北、同じ三間にありました。道路沿いですが意外と思うほどの大きな山門(仁王門)に驚かされました。広い境内はきれいに整備されています。
 ふとみると、茅葺の鐘楼があります。珍しいなと思いながら、ここでも鐘を撞かせていただいたのですが、「ごーん~~~」とまことにいい音がします。特に余韻が長く続いて、思わず手をあわせてしまうような音色でした。名鐘といってもいいと思います。地元の人が「いい余韻でしょう。昔はこの鐘の下も掘り下げられていて、反響がもっとよかったのですよ。」と言われていました。

かっては修行のお寺さんだった・43番

 四国43番明石寺は、42番から北へ峠を越えて宇和野町を抜け、少し北へ入ったところでした。今日の41番から43番までの沿線は、松山自動車道の工事中で、あちこちで工事の現場やダンプなどに出会いました。ここでも高速道が昔の遍路道に沿った形で作られている・・・。ちょっとした歴史を越えた因縁を感じないではおられません。
 かっては熊野関連の修行のお寺さんだったそうです。みな赤瓦で質素な良い雰囲気のお寺さんです。そういうところが武士に好まれたのか、源頼朝の帰依も深かったとありました。それで「源光山」というのでしょうか?


 このあと、宇和島近辺に引き返して、別格霊場、観音霊場めぐりをしました。

宇和島近辺、別格霊場と観音霊場

 まずは宇和島駅前の四国別格6番龍光院です。都会の中のお寺さんは久しぶりでしたが、正面の111段の石段はまことに立派で、境内も広かったです。おや、ここにも新築らしいおいなりさんがありました。

 次は、宇和島の南、津島町にある四国ボケ封じ観音15番臨光寺です。おや、ここは昨夜通った所ではありませんか。昨日は距離が長く、なかなか観音霊場のチェックにいたらず、ルートを大きくダブらせてしまったようなのです。津島町の古い中心街なのでしょうか。家並みの中にありました。で、写真のような長屋門です。「昭和14年の建立で、中央上部の櫓窓は、大正ロマンのつくりになっていてとても珍しいもの」とありました。たしかにこのような山門は私のお寺さんめぐりのなかで初めて出会うものでした。

 宇和島近辺の最後は、東部松野町にある四国ボケ封じ観音16番永昌寺です。宇和島から土佐中村方面に15キロばかり進みます。JR松野駅前、松野の商店街の後方、少し山へ上がった城跡のなかにありました。電話をかけて聞いてやっとたどりつきました。
 河後森城址だそうです。戦国山城で、江戸期は宇和島藩の家老の居城だったとか。で、このお寺さんは城主の平時の居館跡になるそうです。(2007,10)

PS:余談ですが、宇和島市内を走っていますと、あちこちでラーメンの看板にいきあたりました。宇和島って意外にラーメン所のようですね。城下町ということもあり、まるでわが岡山のようですね。なんとなく親近感を覚えてしまいました。

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