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伊方原発から久万高原山中の2寺
ー四国霊場44番~45番ー

 宇和島のあとは、佐多岬半島へと車をはしらせました。えっ、そんなところに四国霊場はないですって!。そうなんです。でも四国ボケ封じ観音霊場17番法通寺があるのです。宇和島から宇和町、さらに八幡浜市をぬけて、やっとたどりつきました。

伊方原発近くの観音様

 真新しいお寺さんです。本堂へ参拝して納経を求めると「観音さんは裏山です」とのお話。ではとお寺の横から山道をあがりました。道々石仏四国霊場が祀ってあります。そして写真のボケ封じ観音さんは、伊方湾が一望に出来るとても眺めの良い場所にありました。
 

 実は四国の原子力発電所、伊方原発をまだ見ていなかったものですから、それもここへ来た理由なのです。お寺さんから西へすぐのところでした。山の上を走る国道に「伊方きらら館」という道の駅があり、そこの屋上から伊方原発が一望できました。気づいたのですが、これは瀬戸内側です。内海が放射能汚染されるようなことがおこらねばいいのですけどね。ちょっと心配です。もちろん外海ならいいというわけではありませんが。

812mの山上の別格霊場
 その伊方町と東の大洲市の間にそびえる出石山(812m)、その頂上にあるのが四国別格7番金山出石寺です。西から上がることになったのですが、沢沿いの道を上り、あとは曲がりくねった登山道でした。800mは車でもかなりきついです。でも、ここでも歩き遍路の方に出会うのです。別格霊場、それもこの難所高山を歩く方はどんな人なのでしょうか?
 このお寺さん、さすが大きなお寺なのですが、やはり四国ボケ防止観音霊場18番をも兼ねていました。  大洲市へ目指して東へと下山したのですが、道が4本くらいあり、ちゃんとしたところへ下りようと思うと大変に気を使いました。

弘法大師が野宿した橋の下
 出石寺から下りたところにあったのが、四国別格8番十夜ヶ橋です。今から1200年前、弘法大師が四国行脚のおり、宿が無くて一晩橋の下で野宿したところとのことです。一夜が十夜にかんじられるくらいつらかったようで、この名が付いたといいます。
 昔のこことはいえ、今やホームレスの人たちが多い時代。「橋の下くらいで一夜が十夜とは?」などとも考えたのですが、さてどうなんでしょうね?。さすがに当時は今のような立派な橋でもなかったのでしょうけど。「経験も無いお前が言うな」ですって!ごもっとも。

 この日は、大洲市を通り抜け、さらに西へ。山中に分け入って、国道33号線のほとり、「道の駅みかわ(美川)」で一夜を過ごしました。高知・愛媛の県境に近い山中ですが、高校生がキャンプしていたり、ライダーが集まっていたり、なかなかにぎやかな道の駅でした。

四国カルスト、そびえる岩の洞窟で・・・
 今日は今回の四国巡り最後の日です。お天気はいいし、元気はつらつ、さあ出発!

 まずは四国45番岩屋寺です。「道の駅みかわ」から北へ9キロばかり。駐車場から山道をさらに20分ばかり上がりました。
 すごい岩のがけの下に取り付くように建てられたお寺さんでした。たまたまお隣で歩いておられた人は「2億年前にせりあがった岩」と言われていましたが、実は約4000万年前に堆積した礫岩が侵食されてこのような景観が形作られたもののようです。吉野川の谷が西へ延びた、日本の中央構造線、大地溝帯のどまんなかの景観として大変興味深かったです。
 早朝で霧の中に浮かび上がった崖には、いくつも洞窟のようなものが見受けられます。かってはあそこで修行が行われていたのでしょうか?ここも36番と同じように不動明王が本尊でしたが、こうして前に立つと本当に不動明王の雰囲気が伝わってくるから不思議なものです。

 少し上がったところに、古岩屋という同じような地形をした場所もありました。

久万高原町のお寺さん・44番大宝寺
 岩屋寺から西へ約10キロ。久万高原町の中心市街地へと入って来ます。山の中の盆地に開けた古い町で、高知から松山への国道33号線沿いです。かっても土佐から伊予への主要街道の宿場町だったのでしょうね。高知の仁淀川の上流にありながら、松山市まで30キロあまりという不思議なところでした。
 そこにあるのが四国44番大宝寺です。ここも山中の落ち着いた雰囲気のお寺さんで、いつまでもたたずんでいたい・・としばし落ち着かせていただきました。(2007,10)

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