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松山平野東部のお寺さんたち。
憲法9条のお寺もありました
ー四国霊場46番~51番ー

 44番から国道33号線を北へ、三坂峠を越えるといきなり松山市です。国道はそれから陶器で有名な砥部町へと入っていくのですが、それより一本東の谷から松山市街の東にかけて、10数キロの間に四国霊場46番から51番までが順に並んでいます。本来ならば歩くところですが、今回の旅は今日で終わりで、午前中しか余裕がありません。そのためやはり車での巡拝とさせていただきました。

薬師如来のお寺さんがここにも

 松山平野の入り口とも言えるところにあるのが四国46番浄瑠璃寺です。今回回った四国霊場24番から51番まで28ヶ寺のなかで薬師如来を本尊とするお寺さんは、ここも含めて10ヶ寺。3分の一を越えています。それも意外に高知や松山といった中心地に近いところが多いのも特徴です。そのなかでもここは薬師如来の別名、瑠璃光如来から寺名をとったというお寺さんです。郊外の落ち着いたお寺さんで、参拝者も多かったです。

修験道のお寺さんが
 46番から北へ1キロ、お隣の寺は修験道の改組役行者小角が開山したと伝わる四国47番八坂寺でした。こんな平地に修験道が・・・そういえば我が児島修験も平地のお寺さんでしたね。  かっては大伽藍を持つ大寺で末寺も多く、おおいに栄えたそうです。

旱魃対策に大師が水を呼んで
 松山市街地の東部環状道路県道40号を北へ北へ。松山自動車道の高架下を通り過ぎたところにあるのが、四国48番西林寺でした。これまでと違って、平野の真ん中にあるお寺さんだと思ったら、旱魃に悩む農民のために、弘法大師が杖を地面に突き刺して水を湧き出させ、池が出来たという伝説の地でした。

空也上人ゆかりのお寺
 さらに北へすすむと、いよいよ松山市街地の一角に踏み込みます。四国49番浄土寺。西林山というから、元は47番西林寺の一部だったのでしょうね。念仏踊りの空也上人がとどまったところで、いまでも空也上人の老境の木造(重要文化財)が残されているようです。

忙しいお寺さんなの??
 次は50番繁多寺です。名前から「いそがしいお寺さんなのかな?」などと冗談を考えながらの訪問でした。ところが広い境内で手入れも良く行き届き、景観としてもとても心安んじられる、素敵なお寺さんでした。  昔天皇から多くの旗をもらい、「旗多寺」だったのが「繁多寺」に転じたということのようです。地元には畑寺の地名もあるとか書いてありました。

憲法9条会賛同署名の有名寺院
 次は道後温泉の隣にある有名寺院、四国51番石手寺です。今回の旅は、四国不案内の私でも名前を知っているこのお寺さんで「打ち止め」とさせていただきました。寺前に土産物屋が並び、三重の塔もそびえ、多くの参拝者が続きます。さすがに有名寺院です。
 しかしそれよりも私が嬉しかったのは、このお寺さんが「憲法9条の会」に賛同し、お寺として賛同署名を集めておられたことでした。そして「ミャンマー軍事政権による、僧侶、市民の殺害、弾圧」に抗議する看板もだされていました。
 今回の四国めぐりの6日間の旅。この石手寺が打ち止めになったのは、きっと平和を愛する弘法大師さんのお導きに違いありません。帰途のハンドルの何と軽かったことか。(2007,10)


PS:旅を終わっての総括といいますか?

 6日間で、四国霊場28寺、四国ボケ封じ観音9寺、四国別格4寺、総計41寺。重複があるため実質39寺。  多くは車だったのでこんなにたくさん回ってしまいました。今こうしてメモを見てもどこがどこか、印象の薄いお寺さんもあります。もう少しゆっくりした方が良かったかも知れません。

 なんて、いつもの反省ですけど。

 歩きは10月3日、高知市南部の1日のみ。その日48、368歩。自己最高ですが約29キロ。全コース歩くには、1日30キロでは少ないのでしょうね?。この疲れ方では、歩き通しは無理かもと思いました。まあ、気力も持つかどうか?松山市東部はお寺がまとまり、歩いてみたかったですが、時間が無くて・・・。

 車の走行距離1350キロ。ガソリン代だけで15000円。フェリー代、バス・タクシーを入れて交通費が23,000円を超えました。総費用の半分近く・・痛いです。

 四国で行ってみたかった「早明浦ダム」「室戸」「宇和島」にも行けました。

 そして、室戸をはじめ素晴らしい景色や、歩きどおししの人などいろんな人との出会い、各地の歴史にも触れて、新発見も多く、人生に幅をいただいた6日間でした。

感謝!感謝!

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