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岡山空港から台湾へ 6
台湾親日の秘密に迫る

 台湾は「親日だ」ということでも有名です。かっての冷戦時代、日本と同じように自由主義陣営?におかれたせいでしょうか?でも、戦前に同じように日本の植民地とされていた韓国が必ずしも親日でないこととの差は、いったい何なんでしょうか?
 これは今回の旅の私のテーマの一つでもありました。
歴史の違いが親日を生んだのでしょうか?

 今回の旅に終始付き合っていただいた、美人の現地ガイドさん。たしか「ローさん」、漢字では「盧」と書かれましたか?
 台湾の歴史について解説していただきました。


 台湾は今の人口は約2,300万人ですが、およそ4つの民族からなるそうです。
 第1は700年前ごろに住み着いた南方の島々ポリネシアからの人々。原住民と呼ばれ、日本の植民地時代は「高砂族」などという蔑称でも呼ばれました。およそ2~3%を占めるようです。でもその中は16族もあるとか。
 第2は400年前に大陸福建省からやってきた人々で、「台湾人」と呼ばれます。ローさんはこれに属するとか。
 第3は、約300年前に大陸近辺からやってきた「客家人(ハッカー人)」と呼ばれる人々。みんな働き者で有名です。
 最後に第4が、戦後に蒋介石が戦いに敗れ大陸から連れてきた、国民党軍を中心とする当時200万人の人々。

 この話を聞くと、台湾の歴史は浅く、当初のオランダの植民地から解放されたのちも、「清」の一部であったり、「実質独立」と言える期間は非常に短いのがわかります。
 この歴史が朝鮮半島との「親日」の差を生んだ第一のことかもしれません。

日本統治時代の巨大土木工事が、南部を穀倉地帯に変えた

 次に、日本の植民地時代のことです。やはり人口の少なかった台湾は、日本では「農業地帯」と位置づけられて、ダムを作って巨大な農地を造成したり、人々の生活向上のための施策がある程度取られたようです。
 特に大正から昭和初期にかけて13年もかけた大土木工事で、台湾の西南部一帯の平野、嘉南平原へ水を供給し穀倉地帯とした烏山頭ダムと嘉南大州の工事は、台湾の半分の土地を豊かな土地としたことで、台湾の人々が日本への感謝の感情を持つ大きな要因となっているようです。
 バスの中でこの工事を主導した当時の日本人の土木技術者、八田與一さん達のビデオを見せていただきましたが、台湾の人々の当時の日本人に対する尊敬や感情の念が十分に伝わってくるものでした。
 ガイドさんの説明では、「台湾南部は北回帰線の南側になり、4毛作です。」ということでした。ますます「豊かな土地」ですね。

食べ物はどこも美味しかったですよ

 最後に今回の旅行、3泊とも良いホテルへ泊まらせていただきましたし、食べ物はどこも美味しかったです。
 これまでの「上海」や「香港」旅行に比べても、一番おいしかったといっても良いでしょう。あ、旅行費用のクラスのせいかもしれませんけど、十分に楽しめた4日間だったことは違いありません。

 ということで、なんとレポートを6文にも分けて書くという暴挙?になってしまいましたけど・・・。(2019,2)

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