児島88カ所霊場めぐり


児島88カ所霊場巡りをはじめて

2020年4月10日

 四国88カ所を巡ってもう9年もの年月が経ってしまいました。21世紀も20年。ところが今年になってにわかに世間を覆ってきたのがコロナウイルス騒動。今まさに世界で150万人もの感染者が出て、日本でも各地にまん延状態となってきてしまいました。
 政府は6都府県に緊急事態宣言を出し、各業界に休業要請まで出して、東京など各地では中心部でさえ人通りが絶えてしまう状態になってきました。
 このままでは国民生活はどうなることか?私自身も唯一の趣味、競技ダンスを自粛。先生のレッスンもホールでの自主練習もお休み。毎日のスポーツジムも休会。一日中家の中に閉じこもれとのこと・・・。このままでは筋肉が落ちてしまいそうだし、気分もウツ状態。どうしようかと日夜考え休むに似たり・・・。
 で、思いついたのが、近くの「児島88カ所霊場巡り」でした。もちろん「コロナ退散」の願掛けです。困ったときの神頼み、あ、仏様頼みでした。
 始めて見たものの、何しろ88カ所。一日に3カ所程度になりそうですし。週に何日も行けません。「とにかく気分で」と例によって不真面目思考での開始でした。
 さあ、どうなることか?まあ、頑張ってみましょう!!!

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児島1番中蔵院

2020年4月10日

 児島半島(古代は島・今は倉敷市児島のほか玉野市・岡山市の一部を含む)の東南端、玉野市北方にある1番さんです。ここからぐるっと児島半島を時計回りに一周して88のお寺を結集したのがこの霊場です。
 倉敷市福田町の我が家から車で、国道2号線を一路東へ。岡山市の旭川を渡ってから南下。児島湾大橋を渡り、金甲山をかすめて児島半島を横断、1時間余りをかけてようやくたどり着いたのでした。最後は田んぼの中の狭い道を恐る恐る走ってやれやれ。
 88カ所を地域のお寺さんでつないでいるほどお寺の多いこの児島。その1番さんだけに立派な山門と本堂を持つお寺さんでした。


 訪ねると、優しそうなご婦人が応対に出られ、「どうぞどうぞ」と本堂まで案内していただき、まずはお参り。私など本来お線香を3本供えるところ、一本ずつ備えて指摘されたり、目の前の教本を手にごにょごにょと、「あんにゃー、はらみた、しんぎょう・・・」唱えたのか唱えなかったのか。
 「あの、納経帳にご朱印をいただけますか。」
 に「ここは1番から3番まで引き受けていまして。」と3個分のご朱印をいただきました。
 書院の奥には素晴らしい庭もあり、裏山には60年前のオリンピックを祈念して植えたという桜200本が今まさに満開でした。
 ふとしたところにあった掛け軸。「我唯足るを知る」は、コロナ後の我が毎日を戒める言葉として印象に残りましたので、ここへも載せておきます。
 ところでこの1番さん、大きな極彩色のお地蔵さんがあり、玉野市の重要文化財になっているとか。けっこうすごいお寺さんでした。
岡山県玉野市北方1470

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児島2番瑞泉院

2020年4月10日

 1番から西へ1キロのところ。玉野市立当時中学校の手前を少し北、山側へ。
 金甲山と貝殻山山塊の中央あたりから南面する大きな谷。このお寺さんの南を流れる長谷川という川が刻んで出来た谷のようです。  谷のむこう側の山には「東児が丘マリンヒルズ」という広大なゴルフ場が広がっています。
 どうやら小字は「浜殿」というらしく、過去にはこの前まで海が入りこんでいたのでしょうか?
 本尊さんは金ぴかの千手観音さんだそうでした。
 岡山県玉野市北方540

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児島3番福寿院

2020年4月10日

 2番さんからさらに西へ約1キロ。この谷の一番上流の集落、「上山坂」にありました。
 長谷川が流れるこの谷は、金甲山から貝殻山への山塊の南側斜面を刻む谷です。谷の上、貝殻山には弥生時代の集落跡も見つかり、付近には古墳も散見されるとか。
 また、谷の向かいの玉野市上山坂西の奥城の段には戦国山城「高畠城」がありました。
 このお城は当時東児島一帯に勢力を張った「高畠氏」が本拠にしていた山城で、付近の胸上城、番田城、小串城などとともに、城主に高畠の名が見られます。
 当然この一帯の中心地として栄えてきた集落群。上山坂から北方、さらに番田へと続く集落群を長く見守ってきたのが、この児島1番から3番さんと言えるのではないでしょうか。
岡山県玉野市上山坂1870

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児島4・5・6番三宝院

2020年4月16日

 さあ、今回の児島霊場巡りも二日目、一週間後です。
 前回の1~3番から西へ。「東児が丘マリンヒルズゴルフ」のある丘を越えて、玉野市胸上から山田へと続く海岸沿いの大きな集落の後背地にあるお寺さん達を訪ねました。
 まずは胸上港の後ろの丘にある4、5、6番さん。
 門前には「4番地蔵院」「5番吉祥院」「6番慈等院」と3つの石塔が並んでいます。そして表札は「三寶院」。

 どうやらそれまで3つのお寺さんが並んで建っていたのを、戦後になって管理上のことから、一番上の地蔵院にまとめて「三宝院」としたのだそうです。
 本堂には3寺の仏像仏具が並んでいるという事でしたが、最近の「コロナ禍」のご時世。表からの参拝にさせていただきました。
岡山県玉野市胸上1730

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児島7番常楽院

2020年4月16日

 次は玉野市梶岡という所にある7番さんです。
 駐車場は広く、お寺は一段上に長い塀に囲まれていました。裏に古墳を利用した立派な庭があるそうでしたが、今回は表からの参拝のみ。

 右側に大きな法華塔がありました。
 振り返ると、門越しに下の集落とその先の海が望まれ、まるで絵の様でした。
 若いご住職が出てこられて、このお寺のお嬢様と結婚されてここへ入られたとか、いろいろとお話いただきました。最後に拙著の「歴史散策は・・・水島・・」を贈呈して次へと。

岡山県玉野市梶岡434
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児島8番龍乗院

2020年4月16日
 どこも車で巡回するには怖いくらいに狭い道が続くのですが、ここも帰路にナビ通りに行こうとしたら、とりわけ狭い道に遭遇。石垣でこすりかけたり、右側に落ちかけたり・・・。
 ご本尊は「聖観音立像(市指定文)」は室町時代初期のものだそうです。で、見事な歓喜天もあるそうでしたので・・・。あ、秘仏だそうです。
 鐘楼門は下半分がコンクリートでタイル張り、上に木像の鐘楼が乗る、大正時代の全国的にも珍しい形式のものでした。鐘はやはりとはいえ、戦時中に供出されてしまったとか?残念!!
 あ、ここでは、10番さんのご朱印も合わせていただきました。ありがとうございました。
岡山県玉野市田井地1326

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児島9番無動院

2020年4月16日
 塩田跡もある玉野市山田地区の裏山にあるお寺さんです。急坂を怖々と登り切った所には桜がきれいに咲いていました。
 でも、ここは本堂のほか地区のコミュニティーハウスもある無住のお寺でした。どうやら「保存会」が管理しているらしく、納経印は月2回の朝市でのみ受け付けているそうでした。
 児島88カ所はみなお寺さんの集まりなんですが、現在ではそれぞれにお寺の維持にご苦労なさっているようですね。
 境内には「由加山蓮台寺中興増吽僧正御入山六百年記念法要厳修」と書いてある石塔もありました。
 あとで調べてみると、この地域の多くのお寺さんの中興に尽くした名僧として名高い増吽(ぞううん)僧正は、当時無動院を拠点にしていて、終焉の地でもあるとのことでした。すごい名寺だったのですね。
岡山県玉野市山田47-4
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