中国33観音めぐり


中国1番西大寺

2005年03月01日

 裸祭で有名な西大寺。吉井川のほとりである。この日はまだ会陽(えよう)後祭の最中だった。

 何度も来たのだが、境内に「金毘羅大権現」が祭られていたのには気が付かなかった。明治の初めに琴平の金毘羅さんに本尊として祭られていた2体の仏像が「廃仏毀釈」で廃棄されそうになったとき、ここへ移して奉ったのだそうだ。何と、江戸時代に栄えた金毘羅参りのご本尊は、ここへ来ていたのである。知りませんでした。

 この中国三十三観音は定期的に行事を行っているようであり、2年前には中国から贈られた「普陀南海観音」の開眼供養があったそうだ。中国の普陀南海大観音の1/10の金ぴかの観音像が奉られていた。同様に中国三十三観音各寺にも中国の観音聖地普陀山との交流を示す石像が奉られているようである。

岡山県岡山市西大寺中3-8-8

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中国2番餘慶寺

2005年03月1日

 岡山市西大寺から邑久町に入ったあたり。吉井川を望む山上にある。それでかどうか「上寺」というらしい。ちょっと見には気が付かないが、見渡すと周辺に多くの寺々、末寺の○○院が6つも。いずれも静かなたたずまいをみせている。現存する塔頭の多さでは中国地方には例を見ないとか。かっては東の峰から太陽が昇るのを拝むのに適したところとしても栄えたという。日待山日輪寺という名もあったらしい。
岡山県瀬戸内市邑久町北島

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中国3番正楽寺

2004年03月1日

 岡山ブルーラインの東端から少し入ったところ。ここを「蕃山」インターというのはなぜかと疑問にも思っていたのだが氷解。お寺のすぐ隣が熊沢蕃山の屋敷跡だった。30代で隠居してしまった熊沢蕃山は、知行地のここ寺口村に隠棲してしたとか。村の名を蕃山(しげやま)とかえ、自らも「蕃山(ばんざん)」と名乗ったそうだ。また明治になってからはあの北村方谷が閑谷学校に招かれ、すぐ近くに屋敷を構えていた跡が残っている。いずれも新幹線が走る横というのもある意味現代的なのかもしれない。山村の川のほとり、静かにたたずむ素敵なお寺でした。
岡山県備前市蕃山

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誕生寺@中国特別霊場

2005年04月1日

法然上人が生まれたお寺。
岡山県久米郡久米南町


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中国4番木山寺

2005年04月1日

真庭市落合町から西に山間に行って行く。上へ上へとあがると、ほぼ頂上に近い。静かなところである。
岡山県真庭郡落合町木山1212

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中国5番法界院

2005年10月26日

岡山市半田山植物園横。これで、残りは鳥取県の5箇所になった。
岡山県岡山市法界院6-1

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中国6番蓮台寺

2005年2月14日
 有名な由加山蓮台寺、昔来た様なこなかったような??。でもちゃんと参拝するのは初めて。由加神社もである。琴平宮と両参りの由加神社と隣の蓮台寺は、神仏混合時代を色濃く残した所である。
 昔の観音堂は神社を隔てて東の端。ご本尊の観音様は新しい本堂に移されている。先日の赤穂のお寺で「由加大権現」が祀られているのを見たのがきっかけのこの日の参拝であった。来て見たら「中国6番」だと言う。それであわてて中国33の納経帳を買い求める始末。許されたく、観音様。
 ここを中心に「由加山村33観音」という石仏観音が配置されているのを見るのも、この日の目的だった。無事見つけて、6箇所巡拝。ここは車で探すのがよさそう。また来なくっちゃ。
岡山県倉敷市児島由加2855


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中国7番円通寺

2005年5月28日
ご存知良寛さんの修行されたお寺。倉敷市玉島の丘の上にあり、玉島や倉敷東部が一望にできる



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中国8番明王院

2005年5月04日
福山の芦田川沿いにある。有名な草戸千軒遺跡は、このお寺の門前町だったそうだ。お隣はど派手な「草戸稲荷」だった。


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中国9番浄土寺

2005年6月5日
 中国33、尾道3寺のひとつで、東から行くと最初にある。案内にともなって「防地口」というところから、市立図書館を経て車で境内まで入ったが、すごい狭い道を延々と・・・。迷惑をかけたかもしれない。下の辺りに止めて、三寺を巡るのが良かったようだ。多宝塔をはじめ朱色の派手な伽藍が並ぶ。この日は高校生の茶会に遭遇した。「身代わり観音」だそうです。
広島県尾道市東久保町20-28

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中国特別霊場西国寺

2005年6月5日
 名前の通り、西国を代表するお寺さんだったらしい。大ぞうりで有名らしいです。さすがに末寺の数が多く、この日に遭遇した団体さんは、左右に歩きながらの参拝のようでした。防地口交差点の次から右に入って進みましたが、ここも他に車を置いておきたかったですね。
広島県尾道市西久保町29-27


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中国10番千光寺

2005年6月05日
 尾道で一番有名なお寺さん。2号線の「長江口」という交差点(すぐ南が朱華園という尾道ラーメン有名店です)から山へ上がるのですが、その道中が何とも風雅で楽しませていただきました。「恋人街道」なんてのもあったような?
 千光寺自体は小さなお寺さんなのですが、境内からの景色が何とも言えずいいことで有名なようです。でも私には道中の様々な店や景色が抜群なのが楽しかったですね。
 昔来た事があるはずなのですが、下のロープウエー乗り場横から歩いたのは初めてでした。今度彼女??と来れたら、ぜひまたこのコースを歩きたいです。
広島県尾道市東土堂町15-1



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中国11番向上寺

2005年10月16日
瀬戸内海中央部、島並み海道のなかにある生口島の瀬戸田という港を眺める高台にある。最近は西日光耕三寺とか、平山郁夫美術館がすぐ横に出来て賑っている。古来から唯一残る国宝三重塔は素晴らしかったが、歴史ある伽藍はこれから再建という様子であった。この日はご住職などお留守で、後日朱印を送っていただく。
広島県豊田郡瀬戸田町瀬戸田57



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中国12番仏通寺

2005年6月21日
 以前から三原のあたりを通るたびに気になっていたお寺である。山中に延々と入っていく。しかもバスが通っている。
 臨済宗仏通寺派大本山と聞いてまた驚いた。参禅道場を持つ西日本唯一の大本山だそうである。この日は静かだったが、参詣日にはにぎわうそうだ。



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中国13番三滝寺

2005年10月2日
 広島市街地の西の山に入って行く。水にも恵まれ、これは!と思うようなすばらしい雰囲気のお寺さん。夕方ということもあったが、本当に心が洗われるようでした。
 広島の町外れにこんないいお寺があったんですね。ここだけでも広島市民は幸せだと思ってしまいました。
広島県広島市西区三滝山411

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中国14番大聖院

2005年10月03日
 ご存知「安芸の宮島」にあるお寺さんでした。厳島神社の後ろ側の山の中。真言宗御室派の総本山で、関西屈指の名刹だそうです。厳島神社や宮島水族館には何回か来たことはありましたが、このお寺さんは初めてです。それにしてもチベット仏教の砂曼荼羅には驚かされました。
広島県佐伯郡宮島町


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中国特別 般若寺

2005年10月03日
 山口県柳井市の南の山上でした。用明天皇との恋で今の大分県から都に上る途中の般若姫が、この地の海で遭難し、今わの際に「あの峰に葬ってくれ」と言った事で、このお寺ができたそうです。悲しい恋のお寺さんは、山中に静かにたたずんでいました。観音堂を巡る石仏も大内氏の時代のもので、歴史を感じさせるお寺でした。
山口県熊毛郡平生町宇佐木


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中国15番漢陽寺

2005年10月03日
 般若寺からの道中はどの道を通ろうかと迷いました。でも1時間15分で無事到着。遠かったですが山口県中国道鹿野インターのすぐ近くでした。山口県は大内氏のことが語られる寺が多いのですが、ここもそのひとつでした。
山口県周南市鹿野上

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中国16番洞春寺

2005年10月03日
山口市内北部の文化遺産が集中する一帯にありました。ここは県庁のすぐ北で、以前に来たことがある国宝五重塔で有名な瑠璃光寺のお隣でもあります。
 毛利元就の菩提寺だそうで、吉田から萩、そして明治になってこの山口に移ってきたそうです。
山口県山口市水の上町5-27


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中国17番龍蔵寺

2005年10月03日
山口から西へ少し、奈良時代からと伝える古刹。ごたぶんにもれず大内氏の庇護があったようです。本尊が馬頭観音というのも珍しく、じっくりと観察させてもらいました。
山口県山口市吉敷1750

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中国18番宗隣寺

2005年10月03日
 宇部市の北方にありました。かいまみた庭は山口の常栄寺の雪舟庭園と同じように、石が縦に立てられていました。国の名勝庭園に指定されているそうですが、古い時代の庭なのかもしれません。
山口県宇部市小串210


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中国19番功山寺

2005年10月03日
 下関市長府。分家である長府毛利家の菩提寺でした。
 大内氏終焉の地でもあり、また高杉晋作が旗揚げをした明治維新発祥の地でもあるようです。今度ゆっくりこれたら、ぜひ隣の長府毛利邸を見てみたいと思いました。
山口県下関市長府川端1-2-3

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中国20番大照院

2005年10月4日
山口県萩市。毛利家墓所。ここも、以前に杉原さん取材のときに訪れた場所。偶数代の毛利氏当主の広壮なお墓が広がる。
山口県萩市

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中国21番観音院

2005年10月4日
  山口県萩市。玉江駅前から細い道をかなり進んだところにあった。玉江観音として古くから海の守り神として崇められていたそうだ。
山口県萩市山田5148

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中国22番多陀寺

2005年10月4日
島根県浜田市街の東。萩から2時間半以上もかかった。9号線バイパスから入り口の標識があり、思ったよりもスムーズに入れた。
 石見の国では唯一の中国33観音登録のお寺である。「石見路を代表する古刹」とあった。
島根県浜田市生湯町1767


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中国23番神門寺(かんどじ)

2005年10月5日
 出雲市塩谷(えんや)。仮名手本忠臣蔵の主人公、塩谷判官の地元である。JR出雲市駅の南に広がる平地が塩谷。以前杉原さん調査で訪れたことがある。弘法大師がこの神門寺から「いろは48文字」を四方に広めた寺として「いろは寺」とも呼ばれるそうだ。出雲市最古の寺院。
島根県出雲市塩冶町821


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中国24番禅定寺

2005年10月5日
奥出雲の一角、三刀屋町にある。国道54号線から離れて、狭い急坂を延々と上っていった。典型的な山寺である。またなかなか眺めのよいお寺でもあった。
島根県雲南市三刀屋町乙加宮1874

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中国25番鰐淵寺(がくえんじ)

2005年10月5日
 島根半島の北がわ。国道431号線からいったん日本海に出て回り込む。車を止めて、さらに参道が続く。弁慶が修行した所やさまざまな解説が道々あり、楽しめる。
島根県出雲市別所町148


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中国26番一畑寺(薬師)

2005年10月5日
 一畑薬師として知られたお寺。目のお薬師さまだそうだ。駐車場から少し歩くが、昔のようなことはないようだ。眺めも良い。島根半島中央部である。
 このお寺の観音様は、瑠璃観音だそうで、薬師如来の教えを広める観音様だそうだ。さすがに一畑薬師である
島根県出雲市小境町803


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中国27番雲樹寺

2005年10月5日
安来市中心部から川沿いに南下したところでした。
島根県安来市清井町


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中国28番清水寺

2005年10月5日
27番雲樹寺の近くで同じ安来市だが、こちらは山中のおおきなお寺だった。今回の旅行で初めて多くの参拝者に出会った。本堂内で朱印受付をしていた寺も初めて。車を置いて山中をしばらく入る。静かでいいお寺。
島根県安来市清水町528


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中国29番大山寺

2005年10月05日
若いときから何度も通った大山。登山に、キャンプに、スキーに、どこもここも懐かしいところである。でもお寺さんにまともに参ったのは初。本堂に上がる手前横が観音堂だった。
なぜか前の両側には狛犬でなくお狐さまだった。うーん。狐はお稲荷さんじゃなかったのか?。知識不足がもろにのぞいてしまった。おっと、この本尊の十一面観音を見つけたのは、白狐のお告げによるそうだ。
鳥取県西伯郡大山町大山

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中国30番長谷寺@倉吉

2006年3月23日
 倉吉市内のお寺。駐車場から山道を300m。本堂は傾斜地に建てられていた。
鳥取県倉吉市仲ノ町2960


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中国31番三仏寺

2006年3月23日
中国33観音とうとう満願達成。バンザイ。本堂など周辺にはまだ雪が残っている。
 本堂内には御神輿が飾られ、神仏習合を色濃く残している。
 裏山は修験道の行場で、有名な投入堂は4月からでまだ入れなかった。
鳥取県東伯郡三朝町三徳

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中国32番観音寺@鳥取

2006年3月23日
池田家の祈願所
鳥取市の東山といったところ。静かだ。いい庭らしいが、見なかった。
鳥取県鳥取市上町162


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中国特別霊場摩尼寺

2006年3月23日
 9号線から降りそこなって迷った。ずっと山の中に2~3キロ入って行く。前に茶屋(山菜料理店)もあり、今日の木曜部午前で、10人以上のお参りがあった。有名寺院なのだろう。石段がちょっときつかった。
鳥取県鳥取市覚寺624

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中国33番大雲寺

2006年3月23日
32番さんから南へすぐ。平凡なお寺のようであったが、本堂のなかには巨大な阿弥陀像と左右の勢至。、観音両脇爾、背後には西国33の33個の大きな観音像がずらりとならび、お砂ふみもさせてもらえた。像はどれも金色で壮観である。さすがに中国33観音結願のお寺さんである。すごい。
鳥取県鳥取市立川町4-24


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中国33観音、満願達成

2006年3月30日
 これで、西国、瀬戸内、中国と3つを回り終えた。途中が新西国、坂東、秩父である。合計で100を超えたが、これからさきは遠いので、そうそうはすすまないかもしれない。まあゆっくりといきます。
 こうして回ってみると、どのお寺さんも独自の魅力がいっぱいで、その土地土地の歴史文化がぎゅっと詰まっているようである。特に中国33ではいろいろと感じることができた。
 1番の西大寺では、金毘羅さんの明治維新秘話に触れることが出来たし、山口県では、大内氏の影響を多々見ることが出来た。また鳥取などでは「こんなところにこのような!」と驚きの連続でもあった。
 記憶力が薄くなっての参拝なので残念なのだが、それでも回っているうちに自然に自分の幅が広がっていく嬉しい限りだ。こういうのを観音様のおかげとでも言うのであろう。ありがたいことでもある。

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