瀬戸内33観音めぐり


瀬戸内33観音巡りをはじめて

2004年012月18日

 西国33観音巡りを終えて、坂東、秩父を始め、先日は新西国にも手を出してしまった。でも、やはり遠方は少々時間がかかりそうなので、気軽に行けそうな地元もやろうと、今日から「瀬戸内33観音」巡りである。岡山県南を中心に広島県東南部、兵庫県南西部に広がるこのルートは、昭和60年に発足したわりと新しいものだという。そんなに時間の無い時に、ちょっと行ってこようということが出来そう。我が家の近く「不洗観音寺」が1番ではじまっているので親近感もある。どこも西国に負けない地元の名寺のようで、ひとつひとつをゆっくりと巡って楽しめる。
 しかし、この寂しさはどうであろうか。おそらくめったに廻る人はいないのであろう。訪れて納経帖を差し出しても、しばらく間が合って「ああ、納経ですね?」という反応はどこも共通していた。気にして尋ねてみたのだが「それでも土日には必ず1~2人はおいでになりますよ。まあまあではないでしょうか?」という。
 でも発足直後の昭和61年に、私の郷土史の師である片山新助さん著(山陽新聞社刊)の案内書がでていて、また親近感を増したのだが?
 これで、4つの観音霊場めぐりを平行して行う事になってしまった。その時々の思いつきで行く私の事、どれが最初に満願になるであろうか、皆目見当もつかない。それより西国33の再訪も課題である。
 まあ、頑張ってみましょう!!!
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瀬戸内1番不洗観音寺  不洗観音寺のこと

2004年12月18日

子授け、安産祈願で有名。倉敷市中帯江。
岡山県倉敷市中帯江820

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瀬戸内2番遍照院

2004年12月18日

倉敷市西阿智。ご住職は私たちの合唱の師でもありました。国重文の三重塔はなかなか良かったです。
 岡山県倉敷市西阿知町

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瀬戸内3番宝島寺

2004年12月18日

倉敷市連島。平安時代初期の創建から幾多の歴史を刻んできたようで、この山門は室町期のもの。近くの日間山法輪寺とは長く親戚のような関係にあったようだ。寂巌という僧の書が有名で境内に碑もあった。
岡山県倉敷市連島町矢柄5633

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瀬戸内4番常光寺観音院

2005年1月1日

玉野市日比の山上に城のような構えだ。「ひびてら」とも言う。隣の山に精錬所がある。戦時中ここへ中国人が強制連行されて働かされ、犠牲も出た。その霊をなぐさめるため、昭和61年にこのお寺に日中友誼鎮魂の鐘が作られている。岡崎嘉平太氏の文があった。
 私の子供のころはこのあたりはみな禿山だったが、さすがに精錬所による環境汚染も少なくなったのか、緑が増えていた。
岡山県玉野市日比2-1-12

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瀬戸内5番西寺真光院

2005年2月9日

牛窓の西寺。オリーブ園近くの、牛窓湾を望む絶景の地。金剛頂寺ともいう
全国188箇所を嘉永時代に巡った人の納めた額があった。
岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓4032

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瀬戸内6番東寺観音院

2005年2月14日
牛窓の東寺、こちらはすぐ海に接した高台。
唐琴の 瀬戸の潮騒 東寺
隣には立派な牛窓金比羅宮がある。
岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓本町2718


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瀬戸内7番花岳寺

2005年2月9日
赤穂城から駅のほうへすすんだところ。赤穂浅野家菩提寺、47士の墓をはじめゆかりの品々などいろんなものがあった。
 左下は、47士の墓。
兵庫県赤穂市加里屋1992



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瀬戸内8番普門寺

2005年2月09日
赤穂中心部から川を渡って東のお寺。車で行くとまず赤穂八幡宮に出くわし、その東奥にある。本尊は1mあまりの平安時代初期の木像で、奥に見えた。
 境内に瑜伽大権現がお稲荷さんとして祭ってある。我が家からも近い瑜伽山から勧請したそうだ。
普門寺兵庫県赤穂市尾崎825

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瀬戸内9番光明寺

2005年2月9日
備前市三石のお寺。普段は高架の2号線で通り過ぎてしまうのだが、今日は街中に下りた。昔は交通や軍事の要衝だった様だ。今は耐火煉瓦の工場が多い。
 このお寺は明治天皇が来たと言うことで、大きな記念碑が建っていた。
岡山県備前市三石

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瀬戸内10番福生寺

2005年2月9日
備前市大内から熊山に登る途中。今日初の山中の寺。さすがに携帯はつながらない。かっては大きな伽藍だったようだ。今も3つの院が残り、西法院で納経していただいた。
岡山県備前市大内

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瀬戸内11番明王寺

2005年3月1日
 岡山市竹原から東岡山へと抜ける峠道の頂上にある。市内とはいえ周囲を山に囲まれた静かなところ。長い階段を上ってたどりつく。
ご住職はおでかけらしく、玄関は開け放たれ「ご自由にお取り下さい」とお寺の説明書や納経帖の証書が置いてあった。こんなことは初めてである。中国33は最近たてなおされたようだが、瀬戸内33は現状では衰微に向っているのかもしれない。そういった象徴的なお寺である。ちなみにここのご本尊は毘沙門天。聖観音像は脇堂でした。
岡山県岡山市竹原185


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瀬戸内12番安住院

2005年3月6日
岡山市国富の操山の麓。操山散策の北西の入山口に当たる。2枚目の写真の多宝塔は、後楽園の借景として建てられたもの。近くではあったが、初めての訪問だった。
岡山県岡山市国富3-1-29



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瀬戸内13番頼久寺

2005年3月15日
 岡山県高梁市の有名寺院。小堀遠州の初期の庭で有名。古い町並み、線路のすぐ北側にあった。庭は借景の山との取り合わせがとてもよかった。
岡山県高梁市頼久寺町18

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瀬戸内14番龍泉寺

2005年3月15日
 成羽町中心部から南へ山を上がった中腹にある。大きくは無いが落ち着いたいいお寺さん
岡山県高梁市成羽町下原370

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瀬戸内15番千手院

2005年11月28日
 ここは吉備のいくつかの古墳の石棺に使われている波形石の産地であり、露出しているところとして有名です。その関連で以前に訪れた経験があるところでした。お留守かとおもいきや、ご在宅で幸せでした。
岡山県井原市野上町971

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瀬戸内16番法泉寺

2005年11月28日
ついに瀬戸内33観音満願です。万歳バンザイ
ここは、15番から少し降りたところでした。そして北条早雲(元はこの地の伊勢氏)とかかわりの深いお寺さん。北条早雲とはすごいではありませんか。最後にこのお寺さんに遭遇して幸せでした。
岡山県井原市西江原町4841


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瀬戸内17番泉勝院

2005年11月22日
参道から境内にかけて石仏の「西谷山西国33観音」があり、新しい石の案内柱が立って整備されていた。古さから言うと江戸期か。舟形は60~80cmくらい。施主名はあるが、年代表記はなかった。
岡山県浅口郡金光町占見西谷

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瀬戸内18番本性院

2005年11月22日
玉島沙美海水浴場横の小高い丘の上。海が見え景色は良かった。
雨傘松もいい
岡山県倉敷市玉島黒崎4595


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瀬戸内19番不動院

2005年11月22日
里庄町の丘の上に。大原焼の5重の塔もある。
岡山県浅口郡里庄町新庄3167

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瀬戸内20番教積院

2005年11月22日
 笠岡市の西端。農道から入って、一時広島県にちょっと入りながらたどり着く。「遠くまでようこそ」と感謝された。日清戦争の戦没者を供養するために作られた石仏33観音が本堂の左手にずらりと並ぶ。どれも舟形が1mの大きなもの。新しいものだけにデザインも工夫されている。
岡山県笠岡市有田1777

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瀬戸内21番嫁いらず観音

2005年6月5日
 井原から南へ。笠岡との境に近い山中にある。隣に温泉もありロケーションは最高。祈れば難病にかからず、嫁の手をわずらわせず、安穏に暮らすことが出来るそうだ。「嫁いらず」の由来である。
 先年井原鉄道開通を記念して、でっかい石仏観音を建立。新名物になっている。「17日に来られたら、お寺さんの直筆が受けられたのですけれどもね。」とは現地のご夫人のお言葉でした。
岡山県井原市

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瀬戸内22番寒水寺

2005年6月5日
 福山市神辺。福山CCというゴルフ場への道から分かれて、山中の静かなお寺さんに達する。瀬戸内33ではしばしばこうした山中のお寺に遭遇するのが楽しみである。ただ、納経が可能なのかちょっと心配だったりする。
 幸いこの日は、ベルを押すと楽しい奥方が現れ、対応していただいた。平日でも住んでおられるのであろうか?。岡山の某寺院は、常時は無住で納経帳を勝手にいただいた経験もあるのだが?
 ところがここも「杉原理興」ゆかりのお寺だという。しまった。それならもう少しゆっくり取材するのだった。
 それにしても「寒水寺」とは素敵な名前ですね。
広島県深安郡神辺町西中条


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瀬戸内23番能満寺

2005年6月5日
JR福山駅前からちょっと西にある。今の福山城のところから築城にともない移ってきたと言う。
なんとかっては杉原光平の菩提寺であり、杉原家とは密接な時代があったそうだ。新発見である。
広島県福山市西町1-20-3


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瀬戸内24番阿伏兎(あぶと)観音

2005年6月5日
 正式には「磐台寺観音堂」。広島県東南、沼隈半島突端の岬にある。鞆から西へ行ったところ。観音堂が海にせり出した岩の上にあるので有名。ところが昨年の台風で被害を受け、今修理の真っ最中だった。写真で見て、現地までかなりの難所かと予想したが、何のことはなかった。でも工事中の写真はきっと少ないだろう。
 最近合併で地名が変わったのかもしれませんね。
広島県沼隈郡沼隈町大字能登原

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瀬戸内25番神宮寺

2005年10月16日
尾道の向島にあるお寺さん。なんだかみんな新しいお寺だった。
広島県尾道市向島町江奥


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瀬戸内26番対潮院

2005年10月16日
 瀬戸内海、島並み海道の2つ目の島、因島にある。村上水軍と密接なお寺さん。
広島県因島市


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瀬戸内27番観音寺・因島

2005年10月16日
島の東側。海岸に車を止めてみかん畑のなか、急坂を歩く。絶景である。
広島県因島市三庄町一区

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瀬戸内28番北野坊

2005年6月21日
30番善昌寺から、八田原ダムのほとりを走って到達。国道184号線を降りて、山道をしばらく走ったところ。ところが目の前にも高架橋の橋脚がにょきにょきと立っていた。
 島県尾道市御調町下山田

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瀬戸内29番今高野山龍華寺@広島甲山町

2005年6月21日
高野山領となった太田庄の経営のために築かれた新しい高野山(今高野山)としてかっては、大変栄えたようだ。龍華寺を尋ねると「あれは高野山ですよ。」と教えてくれた。
広島県世羅郡世羅町甲山

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瀬戸内30番善昌寺

2005年6月21日
瀬戸内33では、最西北端に位置する。広島県府中市上下町上下 というところ。元甲奴郡上下町である。



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瀬戸内31番十輪院

2005年6月21日
府中の町並みの奥、少し山へ上がったところにあった。横の山に昭和29年から17年かけて住職が独力で掘った洞窟に33観音像が納められている。す、すごい。
広島県府中市鵜飼町147-1


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瀬戸内32番大坊福盛寺

2005年6月21日
福山市駅屋町。いかにも旧山陽道を彷彿とさせる地名である。府中の東、駅屋あたりから北に上がり、服部大池の西北あたり。道々『大坊』という案内標識があった。大坊のほうが通りがいいらしい。
広島県福山市駅屋町新山

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瀬戸内33番福性院

2005年6月21日
 府中市の東で芦田川を南へ渡った、福山市芦田町福田と言うところ。瀬戸内33観音設立に主導的な役割を果たしたらしく、住職の当時(昭和60年)の「決意文」がおいてあった。  珍しい二重の塔がある。

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瀬戸内33観音巡り、満願達成

2005年11月28日
 思えば昨年の年末に、1番の不洗観音寺の境内に立ったことが思い出されます。名前は聞いていたが行ったことが無い有名寺院宝島寺をはじめ、いくつかのお寺さんを巡りはじめたのです。正月早々の牛窓のお寺さんは、お天気と景色に恵まれて幸せでした。そして、備前市から岡山市の北部を巡り、「こんなところにこんなお寺さんがあるんだ。」と意外な思いに包まれながらの春でした。
 6月には備後の「高野山」にも遭遇し、新たな知識を付け加えたこともありました。秋になって、島並み街道を巡った時には、我が母の出所の一族の出身地、向島を探査?する機会にも恵まれたのです。
 そして、ようやくの満願達成。最後が井原市の北条早雲のお寺になったことは、偶然ではないと思います。戦国武将のさきがけのおかたが、私をお導きくだされたのかもしれませんね。
 それにしても多くの興味深いお寺さんを見せていただきました。素晴らしい。もしどなたかが「いっしょに」と言われて、もう一度「先達」??として廻らせていただけるなら、これに勝る幸せはありません。
 瀬戸内33観音の33のお寺さん、本当にありがとうございました。


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